苦しんだシーズン序盤…山田 真中監督の言葉で輝き取戻した

[ 2015年10月3日 07:45 ]

<ヤ・神>これがヤクルトスマイル!神宮のグラウンド内で行われた祝勝会でビールを浴びせられ泡とともに笑顔はじける山田

セ・リーグ ヤクルト2-1阪神

(10月2日 神宮)
 ビールかけを終え引き揚げてきたクラブハウス前で起きた山田コールに両拳を突き上げた。祝宴では「野球人生最高です!」とはしゃいだ。「メッチャ目が痛い。(自分を)褒めたいです」。端正な顔は興奮とアルコールで真っ赤だった。

 初回。1死一塁で打席が回ると、四球を選んで畠山の先制打を呼び込んだ。無安打に終わったが、チームが最下位から優勝へと駆け上がることができたのは、この男の存在があったからだ。

 トリプルスリーを確実にし、いずれもリーグトップの37本塁打、34盗塁の活躍でリーグMVPも濃厚だ。昨季、日本人右打者最多の193安打を放ち大ブレーク。今季はさらに凄みを増した。

 シーズン当初は苦しんだ。「自分の思っていた打撃がなかなかできず…。春先はチームに迷惑を掛けた」。原因は外に広いストライクゾーンだった。「今までの感覚だと見逃し三振になる」と嘆いた時期もあった。厳しい内角攻めで、頭部死球も2度あった。5月上旬まで打率は2割台前半と低迷。5月8日の練習中、真中監督に呼ばれた。「昨年は昨年、今年は今年。同じようにやろうとしなくていい」。吹っ切れた。「来た球を素直に振る。振ることで結果が出る」。シンプルな発想で輝きを取り戻した。

 夏場に体重が70キロ前後まで落ちた。皮膚炎で首から上半身にかけて大量の発疹もできた。アンダーシャツがこすれるだけで痛んだ。落ちた体重を取り戻すため、先輩との会食でも、まず腹いっぱいにご飯を食べ、その後にお酒を頼んだ。早出特打も1日も欠かさなかった。驚異のスイングスピードから繰り出す打撃は、繊細な努力の積み重ねだ。

 前回優勝した01年。山田はまだ9歳だった。「暴れ回っていて、教室でドッジボールとかしていた」と笑いながら振り返る。野球を始めたのは小2。すぐにとりこになり、10歳の時には「未来の夢」として「メジャーリーグでホームラン王になる」と書いた。そして、プロの世界に飛び込み、23歳で優勝をつかんだ。

 「(優勝は)素直にうれしいし、本当に野球って凄くいいスポーツだなって思った。野球をやってて良かった」

 歓喜の胴上げは輪の外から目に焼き付けるように見守ったが、チームの中心に常に背番号23がいた。 (倉橋 憲史)

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