星野監督 笑顔で闘将去る「責任は私が長期にわたり消えたこと」

[ 2014年10月8日 05:30 ]

<楽・オ>笑顔でファンに手を振りながら場内を一周する楽天・星野監督

パ・リーグ 楽天2-3オリックス

(10月7日 コボスタ宮城)
 さらば、闘将。そして、ありがとう。成績不振の責任を取って今季限りで退任する楽天・星野仙一監督(67)が7日、今シーズン最終戦のオリックス戦で監督通算17年目に終止符を打った。チームは延長の末に2―3で敗れて最下位が決定したが、本拠のコボスタ宮城には球団史上最多の2万6236人の観衆が集まり、指揮官の姿を目に焼き付けた。通算2277試合で指揮を執った星野監督は、試合後のセレモニーで目を潤ませながらも最後は笑顔で別れを告げた。

 日本一に輝いた約1年前と同じく、仙台の夜空の下でスポットライトを浴びた。星野監督は大歓声の中、マイクを握り、ファンに語りかけた。

 「昨年を思い出します。今年と昨年は天国と地獄。責任は私が長期にわたり消えたこと。痛切に感じます。きょう限り、ユニホームを脱ぎます」

 “燃える男”と呼ばれた男のラストゲーム。球団史上最多となる2万6236人の観衆は最後まで指揮官の姿を目に焼き付けた。予定されていた胴上げはスピーチ後に星野監督が足早にベンチ裏へ下がったため、お流れとなったが、ファンは声を限りに感謝の気持ちを叫んだ。監督通算2277試合目。明大から中日に入団した際の背番号は「22」で最後の番号が「77」。孫の智大(ともひろ)君(7)からサプライズで花束も受け取り「俺は持ってる。(今季途中の休養も)計算してたんや」と笑った。

 中日、阪神をリーグ優勝に導いた名将が「東北を熱くする」と11年から楽天監督に就任。だが、3月に東日本大震災が発生し、2年間はBクラスに低迷した。昨季は24勝無敗の田中(ヤンキース)を軸にチームをまとめ、球団初のリーグ優勝を達成。日本一となり、震災から復興を目指す東北に勇気と感動を届けた。

 連覇を狙った今季は開幕から低迷。自身も「胸椎黄色じん帯骨化症」の手術などで5月下旬から約2カ月間も休養した。実は現場に復帰した7月24日には、フロントに今季限りでの辞意を初めて伝えていた。「コンディションが悪いやつはいらん!」。復帰後、その言葉は使えなくなった。闘将が闘将ではなくなった。

 辞任表明から5日後の9月23日、ヤフオクドームで目頭が熱くなった。「気持ちは分かる。僕もそうだったよ」。ソフトバンクの王貞治球団会長からの言葉。現役時代は巨人戦で燃え「打倒・王、長嶋」が口癖だった。王会長も監督だった06年に胃がん手術でシーズン中に離脱。チームもそこから3、3、6位と低迷して辞任した。尊敬する王会長の言葉に頭を下げ、少し心が軽くなった。

 チームは7連敗で最下位が決まったが、スピーチでは「中途半端に4位、5位じゃ面白くない」と「闘将節」でファンを笑わせ「最下位からまた皆さんを喜ばせよう、という選手になってほしい」とナインを鼓舞した。

 悔いもある。やり残したこともある。それでも言った。「イーグルスの監督になって本当に良かった。最高に幸せな野球人生でした。ありがとう、さようなら!」。監督通算1000勝以上は12人いるが、東北にチャンピオンフラッグを運んだのは星野仙一、ただ一人だ。

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