球児 “手術の先輩”松坂&和田に何度も連絡「そんなもんだなって思えた」

[ 2014年8月8日 05:30 ]

<ロッキーズ・カブス>6回途中から437日ぶりの登板を果たした藤川(AP)

ナ・リーグ カブス4―13ロッキーズ

(8月6日 デンバー)
 昨年6月に右肘じん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けたカブス・藤川球児投手(34)が6日(日本時間7日)、故障者リスト(DL)から出場選手登録され、昨年5月26日以来、実に437日ぶりにメジャーのマウンドに立った。ロッキーズ戦で4―8の6回無死一、二塁から救援登板し、最速148キロで1回を無安打無失点。長く険しいリハビリを乗り越え、完全復活へ大きく踏み出す10球となった。

 心が折れかけたこともあった。でも諦めなかった。復活の舞台はピンチで巡ってきた。6回、4―8とリードされ、なお無死一、二塁。ブルペンから藤川がさっそうと駆けだした。

 「いつもここを想像しながらやってきた。現実にきょうを迎えると、思ったほど大変ではなかった。人生にはもっと大変なことがあると感じた」

 復帰初球は、外角へのカットボールで空振りを奪った。4球目で死球を与え無死満塁としたが、続くラトレッジはフォークボールで狙い通り二ゴロ併殺に仕留めた。その間に1点を返されたが、続くモーノーもフォークで左飛に打ち取った。1回を無安打無失点。「現状で、試合で使える投球をしないといけない。きょうはそれができた」と、懸命に投じた10球を振り返った。

 昨年6月11日、右肘にメスを入れた。「もう駄目だと思うこともあった」というリハビリは、不安と迷いに襲われる日々だった。本格的な投球練習を今春キャンプで再開させるまで約8カ月。打者相手に投げ始めた4月には、5球程度しか力を入れて投げられないこともあった。「肘の中の見えないところにかさぶたができる。それをはぐと痛い。傷口なので、痛くて、パフォーマンスが上がらない」。トミー・ジョン手術経験者を悩ます、さまざまな弊害を学んだ。

 松坂、和田という同学年で、同じ手術を経験した2人には何度も連絡を入れた。「メールや電話で“そういう症状、あったよ”と聞くと、そんなもんだなって思えた」と不安を払しょくできた。

 この日の最速は92マイル(約148キロ)。かつての火の玉ストレートは、まだよみがえっていない。藤川は言う。「完全に通過点ですね。肘の峠を越したかどうかも分からない。肘の感覚が本当に良くなるのはどうせ来年。いい状態に仕上げるには、じん帯がなじまないといけない」。この先も長く険しい道のりが続くのは覚悟している。チームは残り50試合。そして、契約は今季まで。メジャーで生き残りを懸けた戦いでもある。

 「もう過ぎたことですから。いつも楽な時ばかりじゃないし、しんどいことは誰にでもある」。術後から約14カ月を要して立ったメジャーのマウンド。安どはある。ただ、心から笑うのはまだ先だ。

 ▽トミー・ジョン手術 損傷した肘のじん帯を切除し、手首や足首など他の部位から正常な腱を移植する手術。70年代にフランク・ジョーブ博士によって考案され、当時ドジャースのトミー・ジョン投手が74年に初めて受けたことからこう呼ばれている。通常、リハビリには12~15カ月の期間を要する。日本選手では村田兆治氏、桑田真澄氏のほか、現役大リーガーではメッツ・松坂、カブス・和田、レッドソックス・田沢らが手術を受けて復活した。

 ≪球児のこれまで≫

 ◆13年5月26日 レッズ戦に登板し、右肘の痛みを訴えて負傷降板。翌27日にDL入り。

 ◆同28日 精密検査の結果、右肘内側側副じん帯断裂と診断された。

 ◆6月11日 フロリダ州の病院で、ジェームズ・アンドルーズ医師の執刀で右肘じん帯再建手術を受けた。左太腿裏のじん帯を患部に移植した。

 ◆7月9日 アリゾナ州メサのキャンプ施設でリハビリを開始。

 ◆10月7日 キャンプ施設で術後初のキャッチボール。約14メートルの距離で20球を軽めに投げた。

 ◆14年2月24日 キャンプ施設で術後初のブルペン投球。25球。

 ◆7月7日 アリゾナ州の傘下ルーキーリーグで術後初の公式戦登板。1回を無安打無失点。

 ◆8月1日 傘下3Aアイオワの一員としてニューオーリンズ戦に登板し1回無安打無失点。傘下マイナーでのリハビリ登板を計12試合で2失点、防御率0・77で終了。

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