松坂390日ぶり登板 悩み苦しんだ1年を独占激白

[ 2012年6月11日 06:00 ]

<レッドソックス・ナショナルズ>約1年ぶりにメジャーで投球する松坂

インターリーグ レッドソックス2-4ナショナルズ

(6月9日 ボストン)
Monster is Back! 野球人生最大のピンチを乗り越え、平成の怪物が帰ってきた。レッドソックス・松坂大輔投手(31)が9日(日本時間10日)、ナショナルズ戦で右肘腱移植手術から1年ぶりに先発復帰。5回80球を投げ5安打4失点で敗戦投手にこそなったが、直球主体の力の投球で8奪三振と光も見えた。昨年6月10日の手術から丸1年。同5月16日のオリオールズ戦以来390日ぶりの登板までの心の葛藤を、スポニチ本紙に独占激白した。

 本当にこの日が待ち遠しかった。ワクワクする気持ちを抑えるのが大変だった。負けた悔しさはもちろんある。でも、ここで投げられて楽しいと心から思った。手術後初めてキャッチボールを再開した時も緊張したけど、試合では初めてといっていいくらい緊張した。

 登板前に自分の名前がコールされたとき、歓声が一段と奮い立たせてくれた。試合の中でも、こういう緊張感は久しぶりだった。4回のピンチもマイナーのリハビリ登板中とは、やっぱり気持ちの入り方が違う。自分はこの場所に戻ってきたかったんだと感じた。

 365日。三日坊主の僕が1日もトレーニングを欠かさなかった。必ず1年後にはね返ってくると信じていた。でも、不安と期待が常に交互に出てきた。ギプスが外れ、内出血で紫色の腕を見た時、思わず笑って妻(倫世夫人)に写真を送った。それは、ショックを通り越していたのかもしれない。最悪なことも頭に浮かんだ。野球の試合がテレビに映ると、もうあそこに立てないのではないか、と。野球ができない場合に自分は何をしようか、と…。周囲に不幸を分け与えたくなくて、明るく振る舞ったこともある。自分は気持ちの弱い人間だと痛感した1年だった。

 最後の2、3週間は本当に悩んだ。この状態では直球で勝負できず、ボールを動かして我慢してやっていくしかないと考えた。(5月下旬に再度)リハビリ期間が延びてから、肘の状態がようやく安定した。自信が持てるようになったのは最後の2週間だった。

 高校時代から、どこか痛くても動けるならマウンドに上がり続けるのが当然だった。僕にとって自然な行動で、意識することのない生活の一部だった。でも、ここ数年は一度も体がスッキリした状態はなかった。その中で最後に時間が足りないことをボビー(バレンタイン監督)に伝えることができた。そこはちょっとした成長なのかもしれない。自分を抑えられたのは手術経験者の言葉。桑田(真澄)さんは絶妙なタイミングで「焦らないで」とメールをくれた。野茂(英雄)さんも「時間をかけなさい」と。(代理人の)スコット(ボラス氏)も「納得いくまで治して」と優しく声を掛けてくれた。家族も含め、支えてくれた全員に感謝の気持ちを伝えたい。

 ここから新しい松坂大輔の始まり。僕は復活という言葉は嫌い。以前に戻る気持ちはないし、全てをリセットし、一からつくる思いだけ。この先、何が起こるか分からない。いろいろな変化が、いろいろなタイミングで起こると覚悟している。きょうは、手術前と違う姿を見せられる可能性が見えた試合だった。悩んで、試行錯誤して、つくり上げていく。その過程を楽しんでいきたい。(レッドソックス投手)

 【松坂復帰までの経過】
 ▼11・5・16 オリオールズ戦で4回1/3を5失点。翌日の検査で右肘じん帯断裂が判明。
 ▼6・10 ロサンゼルス市内の病院で、肩と肘の権威のルイス・ヨーカム医師による執刀で腱移植手術を受ける=写真、共同。
 ▼6・24 フロリダ州フォートマイヤーズの球団施設で本格的なリハビリを開始。
 ▼10・3 術後初のキャッチボール。122日ぶりの投球で39球。
 ▼12・1・30 初ブルペンで21球を投げる。
 ▼2・16 フリー打撃登板。
 ▼4・12 初めて練習試合に登板し41球。
 ▼4・23 1Aウィルミントン戦に先発。343日ぶりの公式戦マウンドで4イニングを投げる。
 ▼5・19 リハビリで5試合登板しメジャー復帰も検討されたが延期。
 ▼5・31 3Aノーフォーク戦に先発。5回1/3を1失点。
 ▼6・6 球団が9日のメジャー復帰を発表。

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2012年6月11日のニュース