木内監督「一世を風靡した監督」馬淵監督「二度と出てこないかも」

[ 2011年3月7日 07:11 ]

 高校野球の和歌山・箕島高監督として1979年春夏の甲子園大会連覇を果たした尾藤公(びとう・ただし)氏が6日午前3時37分、ぼうこう移行上皮がんのため和歌山市内の病院で死去した。68歳だった。

 ▼常総学院・木内幸男監督 一世を風靡(ふうび)した監督さんで理論もしっかりしていた。また1人甲子園の仲間が消えたみたいで言葉が見つからない。

 ▼名古屋商大・中村順司監督(元PL学園高監督)びっくりして、悲しい思い。非常に箕島が強く、監督として目標としていた。グラウンドでは厳しかったが甲子園の試合では笑顔を見せ、高校野球を盛り上げた方だった。

 ▼明徳義塾・馬淵史郎監督 大事なところで選手を信じてどっしり座り、笑顔が印象的だった。勝負に臨む時の顔が実にいい顔だった。こういう監督は二度と出てこないかもしれない。

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2011年3月7日のニュース