攻めて金メダル!元木咲良は引っ込み思案で過去には敵前逃亡も…五輪戦士の父から受け継いだものとは

[ 2024年8月11日 04:47 ]

パリ五輪第16日 レスリング ( 2024年8月10日    シャンドマルス・アリーナ )

3月の育英大卒業式後、親子でレスリングの構えのポーズを取る元木咲良(左)と父・康年さん
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 女子62キロ級の元木咲良(22=育英大助手)が10日、決勝で21年東京五輪銅メダリストのイリーナ・コリャデンコ(ウクライナ)にテクニカルスペリオリティー勝ちを収め、金メダルを獲得した。シドニー五輪のレスリング代表だった父が立てなかった五輪の表彰台。その一番高い所にたどり着いた。

 衝撃の五輪秒殺デビュー。準決勝の涙、涙の大逆転。山あり谷ありのパリの闘い。前日の試合後は「神様は2回も助けてくれないと思う。明日はしっかり自分の実力を発揮して、しっかり準備して臨みたいと思います」と涙を拭い誓っていた。その誓い通り、気迫みなぎる表情でマットに上がった元木は、全てを出し切り最後はテクニカルスペリオリティー勝ち。金メダルをつかみ取った。

 日本レスリング界では2例目となる、親子五輪出場を達成した。父・康年さんは00年シドニー大会の男子グレコローマンスタイル63キロ級代表。30歳と比較的高齢でひのき舞台にたどり着いた父を、元木は「情熱、取り組む姿勢は凄いと思っていた」と語る。康年さんは高校まで柔道部で、自衛隊入隊後の19歳からレスリングを開始。文字通り叩き上げで五輪選手になったからだ。

 だからこそ受け継いだのはDNAではなく、情熱や姿勢だった。幼少期にレスリングを始めたが、引っ込み思案で、試合では敵前逃亡することすらあった。一つの技術に対しても、他の子が10回やってできることを、その3倍やらなければ習得できなかった。それでも諦めることなく、人の2倍、3倍の努力を重ねた。インターハイは一度も優勝がないまま、育英大に入学。柳川美麿監督の厳しい指導を受け、世界の舞台でも戦える力を付けた。

 ◇元木 咲良(もとき・さくら)2002年(平14)2月20日生まれ、埼玉県出身の22歳。埼玉栄高、育英大を経て、今年4月から育英大助手。おむつが取れたころに父も指導する和光クラブで開始。中学校時代まで目立った成績は残せなかったが、高2だった18年の世界カデ選手権で優勝し、頭角を現す。22年の全日本選抜選手権では59キロ級で初の日本一。同年は世界ジュニア選手権を制し、世界選手権でも3位。その後に五輪階級の62キロ級に上げると、23年世界選手権で2位に入り、パリ五輪代表に内定した。家族は00年シドニー五輪男子グレコローマンスタイル63キロ級代表の康年さん、母、妹。

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