柔道五輪3連覇、40歳野村が引退 29日が「現役最後の勝負」

[ 2015年8月25日 05:30 ]

04年アテネ五輪・柔道男子60キロ級で優勝し金メダルを首に掛けてスタンドの声援に応える野村忠宏

 五輪の柔道男子60キロ級で3連覇を果たした野村忠宏(40)が24日、29日の全日本実業個人選手権(兵庫県尼崎市ベイコム総合体育館)を最後に現役を引退すると発表した。31日に記者会見する。柔道界初、アジア人選手としても初めて五輪3連覇を達成した野村は、4連覇を目指した08年北京の代表をケガの影響で逃したが、現役を続行。13年の実業個人選手権3位の後、試合出場はなかった。

 伝説の柔道家が、ついに現役に別れを告げる。24日、オフィシャルサイトで「現役最後の勝負」と題し「全日本実業個人選手権で引退することを決めました。現役最後の勝負、精いっぱい戦います。応援よろしくお願いします」と発表。29日を引退試合とすることを明らかにした。

 天理大4年時の96年、アトランタ五輪の代表最終選考会となる選抜体重別選手権で優勝し、伝説が幕を開けた。無名の男が本番で金メダルを獲得。翌年の世界選手権も制し、世界の軽量級の頂点に立った。00年シドニーでは全て異なる技でポイントを奪い連覇を達成。天才の名をほしいままにした。

 米国留学を経て、戦線復帰後は国内で4連敗するなど辛酸をなめたが、五輪イヤーには完全復調した。04年アテネで柔道界初の3連覇の偉業を成し遂げた。ところが、07年、右膝じん帯断裂の大ケガを負い、決まっていた世界選手権代表を辞退。08年4月の代表最終選考会で準決勝敗退し、北京五輪出場を逃した。

 このとき「選ばれるだろう」という甘えがあった自分に気付いたことが、その後の現役生活続行のきっかけとなったと振り返っている。10年11月にはロンドン五輪を目指し、講道館杯に出場したが、2回戦で今年の世界選手権60キロ級代表となった志々目徹(当時日体大)に一本負け。それでも、立ち上がった。

 長い現役生活で「ケガのない場所がない」という中で「この体で何かできるとうれしいから続ける」と言い続けた。41歳を前に決断した、引退。最後の戦いで、柔道界の生ける伝説がどういう戦いを見せるか、注目される。

 ◆野村 忠宏(のむら・ただひろ)1974年(昭49)12月10日、奈良県北?城郡広陵町生まれの40歳。天理高柔道部監督を務めた父・基次さんの影響で6歳から競技を始める。天理高時代までは無名も、天理大4年時に全日本選抜体重別で優勝。五輪3連覇は今も柔道界ではただ一人の偉業。1メートル64、平常時の体重は62キロ。得意技は背負い投げ。家族は葉子夫人と2男。

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