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自称・桐島聡容疑者死亡 逃亡49年、身柄拘束報道からわずか3日 事件の全容解明遠のく

[ 2024年1月30日 05:30 ]

 1974~75年に起きた連続企業爆破事件の一つに関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日午前、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。捜査関係者への取材で分かった。死因は病死で、関係者によると、死亡確認は午前7時33分。末期の胃がんだった。

 警視庁公安部はDNA型鑑定などで身元の確認を進めている。男が重篤だったため、公安部は入院しているとの情報を得た今月25日以降、短時間の聴取を断続的に実施。その中で男が指名手配容疑の爆破事件について話したことも分かった。本人と確認できれば、容疑者死亡で書類送検する方針。男は約1年前から通院し、今年入院した。25日になって「桐島聡」を自称。「最期は本名で迎えたい」と話していた。

 約49年間の逃亡。確保の可能性の情報が公になった26日からわずか3日で人生の幕を閉じた。容疑者本人であれば、長期間にわたる逃亡生活や組織の全容解明は遠のいた。国際手配が続く他の容疑者の追跡にも影響を与えそうだ。

 男は「内田洋」という名前を使い数十年前から神奈川県藤沢市の工務店で、住み込みで働いていた。金融機関の口座を持たず、勤務先から現金で給料を受け取っていたとされる。入院先の病院では健康保険証や運転免許証を持たず、自費で診療を受けていた。
 取材に応じた桐島容疑者の親族は「(指名手配の)ポスターで顔を見るたびに嫌な思いをしてきた」と心境を明かし、「50年も逃げ続けたのなら偽名のままでよかったのに」と語気を強めた。入院直前、体調を崩し路上でうずくまっていた男の救助に携わった近所の60代男性は「もっと早く名乗り出て裁判を受け罪を償うべきだった」と語った。

 桐島容疑者は、75年4月19日に東京・銀座の韓国産業経済研究所入り口を手製の時限爆弾で爆破した疑いで同5月に指名手配。警視庁は当時、同時に手配した別の人物=82年に逮捕=も含めた2人について、爆弾製造や現場の下見などを担当する役割だったとみていた。


 ≪音楽好きで踊って周り盛り上げた「うっちー」≫ 男は20年ほど前から職場近くのバーに通っていた。陽気な音楽好きで、店のライブでは盛り上げ役となり、音楽に合わせて踊る姿も。周囲から「うっちー」と呼ばれ、人目を気にするそぶりもなかった。バーの男性オーナーによると、コロナ禍前は月1回ほど1人で来店し、カウンターでビールを2、3杯飲んでいた。1960~70年代のロックやブルース、米ソウル歌手ジェームス・ブラウンさんが好きだった。

 男が「内田洋」を名乗って数十年にわたり住み込みで勤務していた工務店はこの日、静まり返っていた。近くに住む60代女性は「亡くなったと聞き驚いた。逃亡生活をどう過ごしていたのか知りたかった」と話した。車で仕事場に向かう様子を見たことがあるという別の近隣女性は「手配書と違う黒縁眼鏡で帽子をかぶっていた」と振り返った。

 よく男とすれ違ったという近隣男性は「あいさつをしたら返してくれる普通の人。実年齢よりも若々しく見えた」と印象を述べた。一方で「ラジオか何かの音が大きく漏れ、2回ほど注意に行った」とトラブルがあったことにも触れた。

 男の死亡を受け、入院していた神奈川県鎌倉市の病院前は多くの報道陣が集まるなど騒然とした雰囲気に包まれた。

 ▽連続企業爆破事件 過激派の「東アジア反日武装戦線」が74~75年、海外進出するゼネコンや商社に爆弾を仕掛けた一連の事件。反帝国主義、反植民地主義が動機とされる。三菱重工爆破事件で8人が死亡し、三井物産や鹿島建設なども標的にされた。直前の74年8月、武装戦線は昭和天皇暗殺を狙って列車を爆破しようと「虹作戦」を計画したが失敗。この時準備していた爆弾が、三菱重工爆破事件に使われた。

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