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【井原正巳 我が道28】忘れられない事件 北京五輪で公安に拘束された

[ 2025年7月29日 07:00 ]

北京五輪に向けて親善試合中国戦で勝利
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 引退した翌年から、解説者を務めながら、指導者のライセンスを受講した。浦和のオフト監督からコーチの話もしてもらったが、一度違う視点からサッカーを勉強しようと思い、チームには所属しないことにした。C級は現役中に取得していたので、B級からスタート、06年にS級ライセンスを認められた。

 元々は体育の教師が夢だったし、プロリーグができた後は「プロの指導者としてサッカーに携わっていきたい」と思っていたので、第二の人生にわくわくしていた。04年アテネ五輪や06年W杯ドイツ大会の解説もやらせてもらい、いい勉強になった。

 W杯ドイツ大会終了後に日本サッカー協会が08年北京五輪へ向けたチームを立ち上げることになり、反町康治監督の下でコーチを務めることになった。「日本代表に恩返しできれば」と思っていたし、選手としては年齢制限が設けられて、五輪には関われなかったのでうれしかった。引退してまだ数年で、現場に近い視点で指導することもできた。反町監督は厳しく、妥協せず、細かく、いろいろなことを教わった。分析をやらせてもらい、幅が広がったが、役割分担や分析の重要性を学べたことは大きかった。

 北京五輪アジア予選は2次予選からスタートし、6戦全勝。最終予選はC組でカタールと競り合って、出場権を獲得した。それ以上に難しかったのが、本大会の選手選考だった。国際Aマッチではないために、なかなか所属チームの理解を得られず、アジア予選で活躍したMF青山敏弘(広島)やDF青山直晃(清水)、伊野波雅彦(FC東京)は呼べなかった。オーバーエージもMF遠藤保仁(G大阪)や中村俊輔(セルティック)も検討したが実現しなかった。その分07年U―20W杯カナダ大会に出場したMF香川真司(C大阪)、DF内田篤人(鹿島)、安田理大(G大阪)、森重真人(大分)らが合流。吉田麻也(名古屋)、本田圭佑(VVVフェンロ)、岡崎慎司(清水)らと融合した。本大会は1次リーグで3戦全敗に終わったが、多くの選手がその後日本代表の中心になった。北京五輪で悔しい思いをした選手が、「北京経由南アフリカ」でW杯で活躍してくれたことはうれしかった。

 北京五輪では忘れられない事件があった。私はベンチに入らず、チームとは別行動で、次に対戦するチームの分析を担当した。第2戦の前に、ナイジェリアの練習を見に行った。当時は特に規制がなく、「撮影しても問題ない」と言われたので、練習場の外から映像を撮っていたが、中国の公安に拘束されてしまった。私1人で行っていたので、言葉も通じない。中国語が話せる人に電話をして、話をしてもらったが、結局撮影した映像は全て没収されてしまった。大ごとにならずによかったが、難しい国だと冷や汗をかいた。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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