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【井原正巳 我が道10】ゴン中山とコンビニバイト 大学4年時の就活は引く手あまた

[ 2025年7月10日 07:00 ]

筑波大学1年生の時にセブンーイレブンでアルバイト
Photo By 提供写真

 W杯予選に続いて南米遠征があった。ブラジル代表と対戦したほか、ボカ・ジュニアーズやパルメイラスなどアルゼンチンやブラジルのクラブチームと合計7試合行った。ブラジル代表は南米選手権へ向けた調整中で、トニーニョ・セレーゾ、チッタ、ファルカンらがいて0―1で敗れた。ロングボールの競り合いでチッタが首を痛めて担架で運ばれたが、けっこう重傷だったらしい。01年に私が浦和に移籍した時、チッタが監督だったが、その時の話をすると「あの時のはお前か」と怒っていた。

 筑波大学では4年間、試合に出場することができた。1年生の時はMFが多かったが、2年生からはCBになった。リーグ戦は2年生と3年生の2度、総理大臣杯は3年生の時に優勝したが、大学選手権は優勝できなかった。

 一人暮らしも初めてで、1年生の時は寮、2年生からアパートだった。お金の大切さや人間関係などの社会勉強になった。アルバイトもした。1年生の時は中山雅史と一緒にコンビニで働いた。ホテルのフロントや、まかないが出て食費が節約できるのでスナックで働いたこともある。練習が終わって夜9時ごろからの勤務だったが、翌朝からの授業はもちろん出席した。海外遠征や代表合宿などに行くときはリポートを提出。2年生になると、サッカーが忙しくなり、アルバイトはあまりできなくなった。

 4年生になると、日本リーグの多くのチームから誘われた。日産、読売クラブ、全日空、古河電工、ヤマハなど。日産は88~89年シーズン、加茂監督の下で日本リーグ、天皇杯、JSLカップの3冠を獲得。元ブラジル代表DFのオスカーが監督に就任した89~90年シーズンも、2年連続3冠へ向けて順調に勝ち続けていた。私は「自分の力を伸ばしたい。そのためにも一番強いチームに行きたい」と考えていて、日産が第1候補だった。日本代表で一緒だったDF佐野達さん、MF水沼貴史さん、柱谷哲二さん、平川弘さんらがいて、合宿の時に「日産に来いよ」と誘われた。特に水沼さんにはよく声をかけられた。

 前監督で顧問になっていた加茂周さんとも話をした。銀座で会食し、その席で日産に行くことを決めたが、「日産か全日空がいいぞ」と言っていたので、不思議に思った記憶がある。私が日産に入社した2カ月後に加茂さんは日産をやめて、全日空の顧問になり、翌年監督になった。

 1990年(平2)4月、日産に入社した。非常勤嘱託社員で人事部厚生課に配属された。仕事はしないので、サッカーをやめた時は会社に残れないことになっていた。オスカー監督はジーコら黄金のカルテットと一緒にブラジル代表で活躍した選手で、世界を知っている。「同じDFだし、自分を伸ばしてもらえる」と、わくわくしていた。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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