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31歳原口 2度目のW杯出場へハードル越えてゆく「変わった体」と「変わらない心」

[ 2022年7月15日 04:30 ]

11・21開幕 カウントダウン・カタール

谷川氏(左)の研究室で、同じく谷川氏に師事する久保(右)とともに写る原口(谷川氏提供)
Photo By 提供写真

 MF原口元気(31=ウニオン・ベルリン)には、長年にわたって体づくりを支える人がいる。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪陸上男子110メートル障害代表で同元日本記録保持者の谷川聡氏(50=筑波大准教授)。ドイツ移籍前の14年から肉体改造を導いてきた同氏が語る、原口の「変わった体」と「変わらない心」とは――。ベルギー戦で先制点を決めた18年W杯ロシア大会から4年。2度目のW杯出場を目指す31歳の現在地を明かした。

 「もっと速く走りたい」と願う原口が陸上を専門とする谷川氏の門戸を叩いたのは14年だった。「真っすぐしか走れないような体」というのが、谷川氏が抱いた第一印象。怖さは車の運転に例えれば分かる。「免許を取る時ってブレーキとハンドルの操作も教えるじゃないですか。(原口は)アクセルしかない」。以後、ケガなく速く体を乗りこなすための“二人三脚”が始まった。

 たとえば空中の競り合いに必要なハイジャンプ。爪先しか使っていなかった跳び方を、より高く跳ぶためにかかとを使う跳び方に変えた。また、例えば方向転換。原口は「足首を柔らかくして」と指導されてきたが、足首を曲げずとも沈む軟らかい芝の欧州では「クリスティアーノ・ロナウドも足首が硬い」のが現実だった。要す時間が同じなら、骨盤や体幹の動きで方向転換を補完していくほうがいい。トップ選手に倣う方法を説明し、変えていった。

 ようやく体の下地が整ったのは18年1月にデュッセルドルフに移籍したころ。その年の2月に試合で脳振とうを起こして後遺症に苦しんだが、それでも「何とか収めた」という形で臨んだその年のW杯ロシア大会では、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦で先制点を奪取した。現在は、前回大会以上に「空中と足まわりがちゃんとしている」。空中でも地上でも激しいバトルに耐えうる体が整う。

 最近、特に力を入れているのは、背中、肩、腹、足まわりの動きを一致させ、全身をしなやかに動かすためのトレーニング。「肩甲骨の動きと体幹の使い方が分かればもっとスピードが上がり、力も発揮できる。今はそこにチャレンジしています」と谷川氏は明かす。6月の日本代表では、ブラジル戦など3試合に先発し、インサイドハーフでタフさや持ち前の技術力を印象づけた。W杯に向け「やっていることは間違いない、という確信は持っていた」という。

 出会いから8年半。谷川氏は「一つだけ全然変わっていないのは、やると決めたら徹底的にやること」と話す。人の意見を素直に聞く。童心のような純粋さで打ち込む。「かなり失敗はしているが、気にせずチャレンジしていける。そこは凄い」。プロも含めた多くの陸上競技者を育てる同氏にとっても、アスリートの「模範」のような存在だ。

 ドリブラーから、タフで献身的な中盤のオールラウンダーへ。変わらぬ心を持ち続け、原口は自身の体を大きく進化させてきた。2度目のW杯を4カ月後に控えた今、谷川氏は原口が積み上げてきたものに確信を持っている。「前回のW杯の前は、やってきたことを一回振り返って自信を持ってやればいいんじゃないかと言った。今回は振り返る必要はない。体も心も(充実している)。大きなケガなくそのまま行けば、チャレンジできると思います」。力強く、太鼓判を押した。

 ◇原口 元気(はらぐち・げんき)1991年(平3)5月9日生まれ、埼玉県出身の31歳。江南南SS、浦和の下部組織を経て、09年に17歳で浦和とプロ契約した。14年5月にヘルタに完全移籍し、18年1月、デュッセルドルフに期限付き移籍。18年6月、ハノーバーに完全移籍。21年5月、ウニオン・ベルリンに完全移籍。A代表は11年10月7日のベトナム戦でデビューし、通算73試合11得点。1メートル77、68キロ。

 ◇谷川 聡(たにがわ・さとる)1972年(昭47)7月5日生まれ、東京都町田市出身の50歳。中大―筑波大―筑波大大学院―ミズノ。一般入学した中大で本格的に陸上を始める。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪代表。32歳で挑んだアテネ五輪では日本人初の13秒台前半となる13秒39の日本記録(当時)をマークした。06年に筑波大大学院人間総合科学研究所講師に就任し、現在は同准教授。陸上部監督を務める。

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2022年7月15日のニュース