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内田 32歳で引退 日本が誇る右SBも相次ぐケガで理想のプレーできず決断

[ 2020年8月21日 05:30 ]

6月に行った練習試合で軽快な動きを見せる鹿島・内田。今月いっぱいでの引退を決断した(撮影・西尾 大助)
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 鹿島は20日、元日本代表DF内田篤人(32)が現役を引退すると発表した。コンディション面を理由に本人がクラブへ申し入れた。鹿島との契約は今季終了時まで残っていたが、今月31日で契約を終了。23日のG大阪戦(カシマ)がラストマッチとなり、24日にオンライン記者会見に臨む。

 ピッチ上では屈指のスピードとサッカーIQを持ち、新時代のサイドバック像を確立した先駆者。ピッチ外では飾らない人柄でチームメート、スタッフ、ファンに愛される人気者。内田が14年半の現役生活に別れを告げることを決断した。

 今季の開幕前「32歳はサッカー選手としてまだ死ぬ年齢じゃない」と話し、肉体強化に取り組むなど再起を期していたが、2月のプレシーズンマッチで右足を負傷。以降も自身のイメージとプレーとのギャップが埋まらず、本人がクラブに現役引退を申し入れた。今季はリーグ1試合、ルヴァン杯1試合の出場にとどまっていた。

 06年にクラブ初の高卒ルーキー開幕先発デビュー。17歳11カ月でのクラブ史上最年少得点は今も破られていない。10年にドイツ1部シャルケへ完全移籍。定位置をつかみ、10~11年シーズン欧州CLでは4強入りした。

 2度目のW杯だった14年ブラジル大会は選手生命を懸けた戦いだった。腱が切れた右太腿の大ケガから半年足らずで復帰し、患部はテーピングでぐるぐる巻きだが「支えてくれるスタッフがいる。痛いなんて言えない」と弱音は封じた。見栄えのいいパスサッカーに傾注したチームに「サッカーは結果が全て」と警鐘を鳴らし続けた。甘いマスクとは裏腹に骨太な男だった。

 15年6月に右膝を手術して、シャルケでは長いリハビリ生活。17年8月に出場機会を求めウニオン・ベルリンに移籍し、18年1月に鹿島へ復帰したが、フル稼働はできなかった。チームに貢献できない自分を許せなかったのかもしれない。

 内田から意向を聞いた鈴木満フットボールダイレクターは「最後は背中を押した。本当にお疲れさまという思い」とねぎらった。引退後は未定だが、本人は指導者への興味を口にしたこともある。

 突然の別れとなる23日のホームG大阪戦。内田はサポーターの前でその思いを語る。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算147試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。

 ▼浦和DF槙野智章(自身のツイッターで) 寂しい。俺は寂しいよ。次のステージでまた輝くウッチーが早く見たい!!お疲れさまでした!

 ▼横浜FC・MF松井大輔(自身のインスタグラムで)内田篤人 早すぎるよ。また一緒にプレーしたかった!

 ▼清水東高時代の監督梅田和男氏(55=現静岡城北高監督) 多くの人に育てられ、プロとして14年間よくやったと思います。お疲れさまでした。これからもサッカーに関わってほしいと思います。

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