ポルティモネンセ中島は努力の天才ドリブラー、小学生時代から“プロ並み”

[ 2018年5月14日 10:00 ]

ロシア代表候補 青き原点(1)

日本代表として活躍する中島
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 6月14日W杯ロシア大会開幕までちょうど1カ月。スポニチでは代表候補選手の恩師や家族の証言からルーツを探る「ロシア代表候補 青き原点」を10回連載する。第1回は中島翔哉(23=ポルティモネンセ)。3月23日のマリ戦で衝撃のA代表デビューを飾った天才ドリブラーは、努力の天才でもあった。

 普段は物静かな少年が、外見からは想像できないようなテクニックを披露した。東京都日野市。閑静な住宅街の一角にあるクーバー・コーチング日野校。中島は小学3年から5年までこのスクールに通った。当時、中島を指導した小沢英之コーチ(38)は「当時から普通じゃなかった。小学生の時点ですでにプロ並みかそれ以上だった」と証言した。

 元々非凡な才能を備えていたが、個人技を磨く指導法を取るスクールでめきめきと実力をつけていった。大人のコーチでも本気を出さないと、ボールを持った中島をつかまえられない。「相手をドリブルで突破する技やフェイントのかけ方を伝えるとすぐにできてしまう。のみ込みが早いどころじゃない」(小沢氏)。

 高い足元の技術は当時の生活から育まれたものでもあった。ドリブルをしながら愛犬の散歩に繰り出し、立ち寄る公園で犬を相手にした1対1のドリブル対決に明け暮れた。寝る時はボールを抱いて眠り、学校の授業中も足元にボールを置いた。小沢氏は「最も秀でているのは、いくらでも練習ができること。それを本人が努力と思っていないのも凄い」と話す。その本質はプロ入り後も変わらなかった。

 東京V時代には厳しい指導で選手から恐れられた川勝良一監督(当時)が「翔哉、もういいだろ」とたまらず制止するほど練習に打ち込んだ。FC東京時代はアウェーゲームの遠征先でスタッフに必ず「宿舎の近くに公園はありませんか?」と聞いた。「チームの練習だけでは足りない」と公園で自主練に励んだ。出場機会を得られない時期もあったが、腐らずボールを蹴り続けた。「自分の力が足らないだけです。試合に出られないのも、自分の力があれば出られるので」。非凡な才能を持つドリブラーは努力の天才でもあった。

 昨夏にポルティモネンセに移籍。移籍初年度でいきなりリーグ10得点をマークした。ただ、海外での活躍も中島にとっては通過点。「宇宙一になりたいって言っていましたよ。だから日本代表に選ばれても気持ちが揺れることなく、あくまで道の途中という思いでやっているんだと思う」(小沢氏)。努力と才能で道を切り開いてきたドリブラーが、大舞台で真価を発揮する。

 ◆中島 翔哉(なかじま・しょうや)1994年(平6)8月23日生まれ、東京都八王子市出身の23歳。04年に東京Vの下部組織に加入。12年からトップチームに登録され、14年はFC東京からJ2富山に期限付き移籍。同8月にFC東京に復帰した。昨年8月、FC東京からポルティモネンセに期限付き移籍。16年リオデジャネイロ五輪代表など各年代別代表に選出。今年3月の欧州遠征でA代表初選出。3月23日のマリ戦でA代表デビューを飾り、初得点もマーク。利き足は右。1メートル64、64キロ。

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