次世代に伝えたい藤沢和雄師の言葉「一勝より一生」「勝利は馬の力、しつけは厩舎の力」

[ 2022年2月23日 05:30 ]

さらば伯楽 挫折と栄光、未来への提言(下)

1500勝達成記念碑の横で笑顔の藤沢和雄調教師
Photo By 代表撮影

 「一勝より一生」。JRA通算1568勝、G1・34勝など大記録を樹立した藤沢和雄調教師が今週末で70歳定年を迎える。美浦トレセンに厩舎を構えて34年。“競馬のレジェンド”が、「座右の銘」と共に悲喜こもごもの調教師人生を振り返った。

 「最大積載量 親方次第」。東京競馬場からの帰り道、交通渋滞で停車していると、すぐ前に止まっていたダンプカーの後部にこんな標語ステッカーが貼ってありました。「最大積載量 女房子供が食えるだけ」なんてステッカーもあります。横着して一度に限度を超えた土砂を積めば事故につながりやすい。積載量は差配する親方の判断で決まるが、生活に必要な分だけで積めばいいじゃないか。そんな意味の標語です。馬の仕事にも通じる言葉だと思いながら大笑いしました。

 一度に強い調教で馬に負担をかけすぎるよりも何度かに分けて調教したほうが事故は少ない。その調教の多寡や強弱は調教師という馬の親方次第です。「からっぽやみの大仕事」。北海道苫小牧で農耕馬を使って伐採した巨木を山から下ろす仕事をしていた父・武雄(後に藤沢武雄牧場経営)の口癖でした。からっぽやみとは北海道の方言で横着者の意味。横着して巨木を一度に運んでしまおうとすれば事故につながる。無事に仕事を終えたとしても、馬に嫌気が差してしまう。荷物を軽くしてコツコツと何度も運んだほうがいい。生き物を扱う上で手間を惜しんではいけない。「からっぽやみの大仕事」には、そんなホースマンとしての戒めの意味が込められています。

 競馬人生の道標であり、戒めにもなった座右の銘。「ハッピーピープル メーク ハッピーホース」もそのひとつです。英国ニューマーケットの厩舎で厩務員として4年間働いていた時代に、マギーという同僚から贈られた言葉。「カズオ、そんなに難しい顔しないで。馬を世話するときはニコニコしてやるもんだよ」と私に言った。おおらかに笑っていられる人間が幸せな馬をつくれる。競走馬も毎日、調教場でストレスをかけられて大変です。そんな馬をイライラしながら取り扱っちゃいかん。厩舎にいる時くらいは笑いながら接して、少しでも癒やしてやらなきゃ。そういう意味の言葉。JRA通算1000勝の記念碑にも刻んでもらいました。厩舎ジャンパーの襟に刺しゅうしたのもこのフレーズ。引退が迫った今でも心掛けています。

 「カズオ、ハッピーピープルになって、いつかおまえがつくった馬をこの英国やフランスで走らせてくれ」。ション・マギーとの約束は21年後、タイキシャトルが仏G1ジャック・ル・マロワ賞(優勝)でかなえてくれました。

 「一勝より一生」。タイキシャトルとは反対に、海外遠征先で体調を崩し、出走をためらうこともあります。そういうときはこの言葉をかみしめて、馬の代わりに調教師が決断しなければなりません。米国3冠レースの最終戦、ベルモントSに挑むため渡米したカジノドライヴが軽い挫石を発症したのはレース前日のこと。「獣医師には出走可能と言われたが、不安の残る状態で将来のある馬に無理はさせられない」。そんなコメントで出走取り消しを発表しました。

 調教師にとって一番大切なのは馬を壊さないことです。最後にG1を勝たせてくれたグランアレグリアのような前向きな馬は特に気をつけなければいけない。走りすぎて壊れちゃうと思ったから若いうちはレース数を抑えました。目先の1勝にこだわり過ぎて馬の一生を台なしにしてはいけない…などと説教じみたことを言う私も馬を壊してしまった苦い思い出があります。この言葉は自戒の念を込めて通算1500勝の記念碑に刻んでもらいました。

 「やせ馬にムチ」。私がJRAの調教助手に採用された昭和50年代初め、新設されたばかりの美浦トレセンにはこの古い言葉を絵に描いたような光景が広がっていました。スパルタ調教だとか言って、やせぎすの馬を親の敵みたいにムチで叩く。机に向かって一生懸命に勉強している子供が「もっとやれ!」と親に叩かれたらどうなるのか。「やせ馬、ムチを恐れず」ということわざもあります。ムチで打たれることに慣れてしまった馬はムチを恐れなくなり、飼い主の指示を聞こうともしません。こき使われて体を壊すだけではなく心まで折れてしまう。

 「勝利は馬の力、しつけは厩舎の力」。解散する厩舎の片付けをしていると、8年前の天皇賞・秋優勝パネルが目に入りました。フレームに納まっているのはスピルバーグの手綱を誇らしげに引く山本英俊オーナー。天皇賞を勝てたのはスピルバーグ自身の能力ですが、馬主さんが引っ張れるかはしつけの問題。ムチでしかりつけても身につきません。私を含めた厩舎スタッフの馬との接し方が問われます。しつけが行き届かずに悔いを残した馬もいますが、山本オーナーに引かれて歩くスピルバーグはとても格好良かった。今週末、道半ばで看板を下ろす厩舎の誇りです。

 動物虐待とまで言われた私の若い頃と違って、馬を大事にするようになりました。優しく扱うため見本になるような調教をしなければいけない。そんな思いで34年間頑張ってきましたが、少しは馬にも恩返しできたかな…。競馬人生の道しるべであり、戒めにもなった座右の銘を次代のホースマンへの置き手紙に代えて、別れを告げます。 (JRA調教師)

 ◇藤沢 和雄(ふじさわ・かずお)1951年(昭26)9月22日生まれ、北海道苫小牧市出身の70歳。実家は78年秋の天皇賞馬テンメイなどを生産した藤沢牧場。73年から4年間、英国ブリチャード・ゴードン厩舎で厩務員。77年帰国。菊池一雄、野平祐二厩舎の調教助手を務めた後、87年調教師免許取得。88年、美浦トレセンで厩舎開業。JRAリーディング(中央競馬年間勝利数1位)12度。JRA通算1568勝(うち重賞126勝、G1・34勝)。趣味はゴルフ、ハトの生産、飼育など。

 《藤沢和師、名勝負数え歌 98年ジャック・ル・マロワ賞=タイキシャトル》タイキシャトルは経験のない直線競馬、慣れない深い芝をものともせず、ラスト100メートルで先頭に立つと、後続を半馬身抑えて完勝した。念願の海外G1制覇を遂げた鞍上・岡部幸雄は感極まって男泣き。クロフネミステリー(95年米G23着)を皮切りにタイキブリザード(96、97年米BCクラシック13、6着)などで積極的に世界に挑んできた藤沢和師にとっての海外初勝利となった。

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