ネオユニヴァース 種付け中事故死…03年に皐月賞、ダービーのクラシック2冠

[ 2021年3月9日 05:30 ]

03年のダービーを制したネオユニヴァースとM・デムーロ
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 03年皐月賞、ダービーでクラシック2冠。同年のJRA最優秀3歳牡馬に輝いたネオユニヴァース(牡、父サンデーサイレンス)が8日午後、けい養先の北海道新ひだか町のレックススタッドで種付け中の事故により死んだ。21歳だった。2日に01年ダービー馬ジャングルポケットが死んだばかり。1週間のうちに2頭のダービー馬が旅立った。

 現役時は瀬戸口勉厩舎に所属し、重賞5勝を含む13戦7勝。5戦4勝の成績を引っさげ、皐月賞では1番人気。福永が僚馬エイシンチャンプに騎乗することになったため、スプリングS(1着)からコンビを組んだミルコ・デムーロと挑み、勝負どころで狭いスペースから抜け出して制覇。デムーロは勢い余って2着サクラプレジデント・田中勝の頭を叩くというおまけがついた。

 ダービーも1番人気。ゼンノロブロイ(2着)、ザッツザプレンティ(3着)といった、のちのG1馬を相手に悠々と差し切って2冠を達成した。宝塚記念にも参戦したが4着。その後、デムーロの短期免許期間が春で満了していたが、ファンからの「菊でもデムーロを背にした姿が見たい」という声が大きかったことから、「同一馬に騎乗して同一年にJRAのG1を2勝した場合、その年のG1で当該馬に騎乗する時に限り、当日のみの免許を発行する」という特例措置が誕生。デムーロを背にした菊花賞も1番人気に支持され、3冠を期待されたがザッツザプレンティの3着に敗れた。

 4歳になってからはG2大阪杯を制したが、天皇賞・春は10着。宝塚記念に向けた調整中に右前脚に浅屈腱炎を発症し、秋に引退が発表された。

 種牡馬としても活躍。初年度産駒のアンライバルドが09年皐月賞を、ロジユニヴァースがダービーを制し、早々と父子制覇を達成。11年にはヴィクトワールピサがデムーロを背にドバイワールドCを制した。デムーロは自身のインスタグラムで「ネオユニヴァース、あなたにお合いできて私はとてもうれしかったです。あなたは間違いなく私の人生を変えてくれました。これからも変わらず心の中であなたを思っています。本当にありがとう」と感謝した。

 ◆ネオユニヴァース 父サンデーサイレンス 母ポインテッドパス(母の父クリス)牡21歳 現役時は栗東・瀬戸口勉厩舎 馬主・社台レースホース 生産者・北海道千歳市社台ファーム 戦績13戦7勝 総獲得賞金6億1337万6000円。

 【悼む】記者としての基本を叩き込んでくれた馬。それがネオユニヴァースだった。担当はベテランの松久月広厩務員。いくつも重賞を勝ち、腕は確かだが、あまり大きなことを言うタイプではない。それが皐月賞前だったか。偶然、栗東のコンビニのレジで並んだ時に話し掛けると「この馬、ちょっと違うぞ」。いつものトレセン取材では聞けない言葉を耳にして鳥肌が立った。

 菊花賞でデムーロが特別に騎乗可能という措置はスポニチのスクープだった。わずかな1次情報を耳にして必死に“裏取り”の電話をかけたのが懐かしい。04年元日付では「ネオユニヴァース凱旋門賞へ」の大見出し。陣営が確かに準備していることをつかんだ。残念ながら実現しなかった。ただ、産駒のヴィクトワールピサが海外に雄飛し、ドバイワールドCを制した。

 関係者に必死に食らいつくことを教えてくれたネオユニヴァース。今夜は完勝のダービーの映像を久しぶりに見て、その死を惜しみたい。(鈴木正・中央競馬担当デスク)

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