【中山記念】蛯名、名馬と重ねた2539勝 ゴーフォザサミットで感謝表す「最後まで集中」

[ 2021年2月26日 05:30 ]

ゴーフォザサミットの調教を行った蛯名 (撮影・西川祐介)
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 競馬界が別れの週を迎える。3月から調教師に転身する蛯名正義(51)がゴーフォザサミットで挑む中山記念(28日、中山)で騎手人生に別れを告げる。武豊(51)と同期の東のレジェンドが34年間の騎手人生を振り返った。また、今週末で東西8人の調教師も引退。万感の思いを胸にラストウイークに挑む。

 エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ、アパパネ…。数々の名馬たちの背を預かった蛯名。デビューから34年。積み上げたJRA2539勝は歴代4位、JRA重賞129勝は歴代6位。競馬史に名を刻むレジェンドがいよいよムチを置く時が来た。

 「不思議とまだ(引退の)実感はない。想像するに終わった後に寂しさが出てくるんでしょうね。今は多くの関係者に感謝の気持ちしかないです」

 記憶に鮮明に残る87年3月1日のデビュー戦。師匠の矢野進厩舎のアイガーターフに騎乗したが15頭立て14着に大敗した。「緊張していたね。周りからは“迷惑を掛けるなよ”と言われていたけどタイムオーバーの大負けで迷惑の掛けようがなかった」。昨日のことのように笑った。初勝利は同年4月12日のダイナパッション。「同期は(武)豊も含めてもう勝っていた。ホッとしたし、うれしかった」。当時の喜びを思い出し、目を細めた。

 アパパネと達成した10年の牝馬3冠など大舞台でも結果を残し続けた。だが、エルコンドルパサー(99年)、ナカヤマフェスタ(10年)で挑んだ凱旋門賞が2着惜敗。25回挑戦したダービーも2度の2着(12年フェノーメノ、14年イスラボニータ)が最高だった。「俺は残念な騎手。武豊には勝てない」と漏らすこともあった。だが、引退が目前に迫った今、その表情はすがすがしい。「勝てないレースもあったけど、やりきったかな。勝つために関係者に求めるレベルは高かったと思う。“あいつ、うっせーな”と思われていたかもしれない。でも、それがあったからここまでやれたと思う」

 競馬学校からの同期・武豊は歴代最多4254勝を挙げる“日本競馬の顔”。友情とリスペクト、そして蛯名にしか分からない感情を抱えながらの騎手人生だった。「(同期で)楽しいというのとは少し違う。でも彼がいたから頑張れたし引っ張ってもらった。豊がいなければ今の自分はない」。今後は調教師として武豊とタッグを組むチャンスも。「そうなればいいね。競馬が盛り上がってくれれば」。照れくさそうに笑った。

 ラストランの中山記念(ゴーフォザサミット)がいよいよ迫る。「こういうチャンスを頂けて感謝しかない。最後まで集中したい」。自他にストイック、それでいて人間くさい。その姿にファンは自身を投影し、勇気づけられた。蛯名は蛯名らしく最後までガムシャラに馬を追う。

 【同期の武豊も別れを惜しむ「寂しくなるね」】競馬学校の同期、武豊(51)も“騎手・蛯名”との別れを惜しんだ。13日の阪神10Rが最後の同レース騎乗(蛯名2着、武豊5着)に。「レース前“一緒に乗るのはこれが最後やね”と、どちらからともなく言ったのかな。感慨深いものがあった。寂しくなるね」と語った。「エビちゃんとは競馬学校生の時から今に至るまで同じ時間を過ごしてきた。ライバルという感覚よりも特別な存在。基本的に真面目で不器用だけど一生懸命にコツコツとこなしていくタイプだった」。今後は調教師と騎手としてタッグを組むケースもあるはず。「一緒に勝っていく関係性も楽しみだよ」と締めくくった。

 ▼国枝師 アパパネやマツリダゴッホ、ダノンプラチナで厩舎に貢献してくれた。調教師としてのエール?自分は1年目から“他の厩舎と同じことをしない”ということばかり考えていたよ。言い方は悪いけど出し抜こうとしていた。本人はやる気満々だろうし、何だか自分まで初心に帰るような気持ちだね。

 ▼藤沢和師(蛯名のG1初勝利となった96年天皇賞・秋=バブルガムフェローを管理)思い出に残るレースは多い。調教師としては一からのスタートだけど騎手時代の経験がきっと生きるはず。最後はうちの馬(ゴーフォザサミット)で花道を飾ってもらいたいね。

 ◆蛯名 正義(えびな・まさよし)1969年(昭44)3月19日生まれ、札幌市出身の51歳。87年騎手デビュー。JRA通算2万1171戦(史上3位)2539勝。JRAのG1・26勝。01年に133勝で最多勝利騎手、01&10年に最多賞金獲得騎手に。海外G1は99年サンクルー大賞(エルコンドルパサー)の1勝。

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