【有馬記念】アルアイン 17年皐月賞“人馬G1初V”松山成長の手綱で有終導く!

[ 2019年12月20日 06:30 ]

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17年の皐月賞を制したアルアインと松山(左から2人目)
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 アルアインの積み上げた実績はもっと評価されていい。17年皐月賞はペルシアンナイト(2着)、レイデオロ(5着)、スワーヴリチャード(6着)、ウインブライト(8着)と、のちにG1を勝ち、中心として競馬を支えた名優がそろっていた。その中を1分57秒8という超速時計で勝ち切った。 有馬記念

 皐月賞時の鞍上は松山弘平(29)だった。引退戦の手綱が回ってきたのは決して思い出づくりではない。相性の良さに懸ける最後の切り札だ。「騎乗依頼を頂けて素直に凄くうれしい。有馬記念は、ずっと乗りたいと思っていたレース。初めてG1を勝たせてもらった馬ですし感謝しています」。騎乗は17年ダービー(5着)以来。2年半ぶりに手綱を託された。

 松山が初めてアルアインに騎乗したのは17年毎日杯。クラシックの舞台に向け、結果が求められる一戦だった。重圧の中、好位から抜け出し、重賞初Vをエスコート。続く皐月賞は勝負どころで位置を下げながらも盛り返し、首差の接戦をモノにした。デビュー9年目、38回目の挑戦で待望のG1初勝利。インタビューでは「馬は頑張りましたが人間はいっぱいいっぱい。外にヨレてしまった。悔いが残ります」と正直に語った。プレッシャーを背負いながら戦うことで松山は急速に成長していった。

 ダービーは4番人気に支持され5着。「皐月賞馬で挑むプレッシャーがありました。結果を出せなかった。うまく導いてあげられなかった」。秋初戦のセントライト記念(2着)はルメール。その後、松山の元に皐月賞馬の手綱は戻ってこなかった。

 「乗り代わりになった当時は悔しさもありました。でも、自分の技術不足からダービーで結果を出せなかった。そのことをしっかり受け止めてやってきました。(自分が)乗らなくなってからもアルアインのレースはずっと見ていました」

 アルアインは今年、北村友とのコンビで大阪杯を勝った。松山も腕と心を磨いた。今年すでに88勝でキャリアハイ。着実にステップアップしている。「アルアインとG1を勝って、得たものは大きかった。自信になった。G1を乗る上で、すでにG1を勝っているのと勝っていないでは気持ちが全然違う」

 関係者は松山のそんな姿を見ていた。ラストランで再び、託された手綱。その意味は大きい。松山は「メンバーは強いですがアルアインもG1・2勝馬。距離は延びるが、中山コースはいい」。松山にとっては自分の成長をアルアインに見せるチャンスだ。最後の背中を楽しみながら最高の結果へと導く。

 <デビュー前に生観戦、ディープ引退印象的>松山の印象に残る有馬記念はディープインパクトが有終の美を飾った06年。当時、デビュー前の競馬学校生として生観戦した。「引退レースでファンの数が凄かった。暗くなった中で行われた引退式も覚えています」。アルアインはディープインパクトの産駒。今度は松山自身が劇的フィナーレに導くか。

 ◆アルアイン 父ディープインパクト 母ドバイマジェスティ(母の父エッセンスオブドバイ)栗東・池江厩舎所属 馬主・サンデーレーシング 生産者・北海道安平町ノーザンファーム 戦績19戦5勝 総獲得賞金5億1170万2000円(戦績、賞金ともに海外含む)。

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2019年12月20日のニュース