【ダービー】孫作騎手の孫・一昭師「いつの時代も特別」函館家の思い

[ 2013年5月24日 06:00 ]

祖父・孫作の思い出などを語る函館一昭師

 第1回ダービーを制したのが函館孫作騎手(ワカタカ)であることは、熱心な競馬ファンなら一度は耳にしたことがあるはず。だが現在、中央競馬に函館姓のホースマンはいない。実は、函館の名を継ぐ調教師が公営・船橋競馬にいる。函館一昭師(64)が語る祖父・孫作、そしてダービーへの思いとは。

 「ダービーは競馬人の夢だね」。日焼けして茶色くなったモノクロ写真を眺め、函館一昭師がつぶやいた。写真には、背広に小粋な帽子をかぶった男性。祖父・函館孫作。第1回ダービーをワカタカで制した、ダービージョッキー第1号だ。

 函館家は明治から続く競馬家系だ。「先祖の大経が天覧競馬で外国人騎手に勝った時に、明治天皇から函館の名を頂いた。そして第1回ダービーを勝ったのも函館。ドラマだね。大事な名だからと母から何度も言われた。函館の名は正直、プレッシャーだった」。函館師は少し困ったような笑みを浮かべて言った。

 孫作氏は戦後、中山から船橋に移り、騎手、調教師を務めた。「船橋で繋駕(けいが)競走の練習をしているのを見たことはあるが、レースは見ていない。第1回ダービーは映像で見た。うまかった。昔、馬が素直なら、手綱やムチがなくても足だけで御せると言っていたそうだ」。孫作氏は、師が小学4年のときに亡くなったが、祖父が語った“競馬の肝”をうっすらと覚えている。「馬の気持ちを殺さないこと」。今も「馬の邪魔をしないように乗る」と多くの騎手が言う。孫作氏のポリシーは脈々と受け継がれている。

 中央、地方と舞台は異なるが「自分も(東京)ダービーに勝てる馬を育てたいと毎年思う。いつの時代も特別なレース。勝つのはとても難しいが…」。競馬界の超名門、函館の名を背負った、ただ一人の調教師。その男の夢も、やはりダービーなのだ。

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2013年5月24日のニュース