【山本譲二 我が道19】45万枚ヒットのきっかけは木梨くん「譲二さんと一緒に歌いたいんですよ」

[ 2026年4月20日 07:00 ]

異色ユニット「憲三郎&ジョージ山本」の発表会
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 「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」という人気バラエティー番組に何度か出ました。それが縁で「とんねるず」の木梨憲武くんと食事に行ったりする関係になりました。

 ある時、一緒に焼き肉を食べていると、木梨くんが「譲二さん。オレ、演歌を歌いたいんですよ」といきなり言いました。しかも「譲二さんと一緒に歌いたいんですよ」「えー、オレとかよ」。正直、面くらいました。彼は酒を飲めないのでシラフ。酔った上の勢いではありません。挙げ句に「北島さん、歌を作ってくれないスかね」とまで言い始めました。

 そこまで言うのならばと、劇場公演中だった北島三郎のオヤジに2人で会いに行きました。大阪・梅田コマ劇場の楽屋を訪ねてあいさつすると、木梨くんは「あのー、譲二さんと一曲歌いたいんですが…」と切り出しました。するとオヤジは「木梨、お前が考えるほど演歌ってのは甘くない。お前が住んでいる世界とは少し違うよ。しばらく、山本に付いてみてはどうだ」と提案しました。

 自分の仕事現場に木梨くんが本当に同行するようになりました。コンサートでは自分の動きの邪魔にならないよう、マイクの余分なコードを束ねて持ったり、客席に下りて歌う際には、しゃがんで自分の行く先の整理など“裏方”に徹しました。ディナーショーではわざと客のビールをこぼして大慌てするふりで笑いを取りました。半年ほどすると「山本と一緒に歌ってもいいぞ」とオヤジの許しが出ました。勢いに乗じてオヤジに作詞、作曲の依頼をしていました。

 そうしてできたのが「浪漫―ROMAN」(詞・曲、原譲二)です。同曲を作り、プロデューサーでもあるオヤジも当然レコーディングに立ち会います。「憲ちゃん、レコーディングの時、絶対に一回はオヤジに歌を止められるからね。その時、オヤジはいろいろと歌い方をアドバイスしてくれるはず。でも感覚的な表現だから、話を聞いても分からないと思う。でも、間違っても“分かりません”とか言っちゃ絶対ダメ。分かっていなくても“ハイ、分かりました”とだけ言うんだ」と対応法を伝授しました。実際にレコーディングの途中でオヤジが話し始めても「ハイ!」「ハイ!」と小気味良い返事っぷりで、まさに天才的な対応でした。オヤジもすっかり気分が良くなり、ほぼ一発でOK。「こっち(コントロールルーム)に来て一緒に聴こう」と上機嫌でした。

 おかげさまで「憲三郎&ジョージ山本」名義で1996年5月に出した「浪漫―ROMAN」は45万枚のヒットを記録。演歌チャートで1位となり、「第47回NHK紅白歌合戦」にも出場して話題になりました。その後も会うたびに「第2弾、やりましょうよ」と盛り上がりますが、実現していません。義理堅い男で、今年の誕生日にもお祝いの花を送ってくれました。「譲二さん、80(歳)になりました?」って。まだ76だってば。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

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