映画監督・原田眞人さん死去 76歳、多臓器不全 新作の準備進めていた中…家族に見守られて

[ 2025年12月14日 05:30 ]

原田真人さん(2008年撮影)
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 「クライマーズ・ハイ」や「検察側の罪人」などで知られる映画監督の原田眞人(はらだ・まさと)さんが8日午前0時39分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。76歳。静岡県出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻瑞穂(みずほ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 関係者によると、9月下旬に体調を崩して入院。すぐに退院したものの、最近になって再入院した。亡くなる10日ほど前から役所広司(69)、大泉洋(52)、原田組のスタッフらが見舞いに訪れていた。長男で俳優の原田遊人(48)ら家族に見守られながら息を引き取った。原田さんは新作の準備を進めていたという。

 子供の頃から年間100本以上を観賞する映画好きで、監督を志すようになった。英ロンドンに留学後、1973年に米ロサンゼルスに渡り、敬愛するハワード・ホークス監督らの取材を通して映画評論家としてキャリアをスタートさせた。

 79年に「さらば映画の友よ インディアン・サマー」で監督デビュー。「KAMIKAZE TAXI」(95年)では役所が毎日映画コンクール男優主演賞に輝いた。日航機墜落事故を扱った「クライマーズ・ハイ」(08年)、太平洋戦争終戦の日を描いた「日本のいちばん長い日」(15年)などで日本アカデミー賞で優秀監督賞、同脚本賞を受賞した。また、トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」(03年)では俳優としてハリウッドデビューを飾った。

 メジャー作品の時は常にハリウッドに負けない日本映画を目指し、ダイナミックなカメラワークや演出、アクション描写などに強いこだわりを見せた。撮影現場で本番の際のかけ声も「よーい、スタート」ではなく「ローリング、アクション」だった。

 大ヒット中の映画「国宝」について「日本でも丹念に作られた映画が数字を叩き出す時代に」と自身のブログで書くほど感銘を受けていた。体調が思わしくない中でも時間を見つけては映画館に通う根っからの映画人で、日本を代表する職人監督だった。

 原田 眞人(はらだ・まさと)1949年(昭24)7月3日生まれ、静岡県出身。72年に雑誌「キネマ旬報」に投稿したのが映画業界入りのきっかけ。79年に監督デビュー後、86年に人気絶頂だった「おニャン子クラブ」主演の「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」で注目を集めた。82年公開の「スター・ウォーズ」日本語吹き替え版の翻訳監修、88年の「フルメタル・ジャケット」の字幕も手がけた。

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