【藤あや子 我が道4】祭りの踊り子で人生初ギャラ 舞台で1週間踊って…

[ 2025年12月4日 07:00 ]

15歳の頃、恋に焦がれる乙女でした
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 よく食べる子だったこともあり、小学校5年生の時、すでに身長1メートル52ぐらいありました。ですから、ポートボールではゴールマンをしていました。台の上に立ってシュートを受け取る役です。小学校最後の大会の大会規定ではゴールマンは1メートル53の身長制限がありました。でも、試合前の計測で私は1メートル53・1で、失格。試合に出られませんでした。みんなと一緒に一生懸命に練習していたので、凄く悔しかった思い出です。

 秋田はお祭りなど、人が集まる場所で民謡を歌って踊ることが多い地域です。私も5年生から「郷土芸能クラブ」に通い始めました。幼い時から仲良しだった近所の由美子ちゃんが先に通い始めたことも理由の一つです。毎週土曜日夜7時から、公民館で鮮魚店の加藤さんが先生となって教えてくれました。男の子は横笛や太鼓を習い、女の子は踊りです。仙北市を代表する民俗芸能「角館祭りのやま行事」の「飾山囃子(おやまばやし)」で踊る手踊りを教えてもらいました。角館の女の子にとって、祭りの踊り子は花形的存在です。みんなから大事にされるので気分が良いのです。テレビで山口百恵さんや桜田淳子さんを見て「アイドルになりたい」と思ったのと同じ感覚です。花見や祭りの時季には、さまざまな会場で踊る機会がありました。お祭りの舞台で1週間ぐらい踊ると、人生で初めてのギャラを頂きました。確か500円。この初ギャラで何を買おうかと夜店を見て回り、結局、紙製のカラフルな傘を買った記憶があります。

 中学生になり、当時の人気アニメ「アタックNo・1」に憧れてバレーボール部に入りました。でも、練習が厳しくて挫折、すぐに「帰宅部」になりました。一方、郷土芸能の踊りはずっと続けました。遠征して、東京での秋田物産展で踊ったり、子供郷土芸能の全国大会で奈良にも行きました。奈良で知り合った佐賀県武雄市の女の子と文通をしたこともあります。「藤あや子」になってから、銀座の有名フレンチ店「シェ・イノ」に連れて行ってもらいました。総料理長の古賀純二さんと話していると「高橋真奈美さん?昔、私の妹と文通していましたよね」と言われて驚きました。世の中は意外と狭いものです。

 小学生のころから恋に焦がれる乙女でした。転校生の子にバレンタインデーのチョコをあげたことがありました。でも、翌日、その子のお母さんからお礼を言われ「なんでお母さんにしゃべっちゃうの?」と、すぐに熱が冷めました。中学2年生の時、憧れていた体操部の先輩と初デートをしました。クリーニング店のご子息で「何て良い匂いなんだろう」と、清潔感に魅(ひ)かれました。ただ、デートといっても、学校帰りに町役場前のベンチに座って話をしただけで終わりでした。テニス部の男子から、物凄く情熱的なラブレターをもらったことがありました。のちに井上陽水さんの「愛は君」の歌詞だと判明してショックでした。凄く感動して、損した気分でした。

 ◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。

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