細野晴臣がゲスト YMOと生誕100年初代三平さんのつながり明かす ものまねが一番上手なメンバーは…

[ 2025年12月1日 05:10 ]

<昭和の爆笑王 初代林家三平生誕100年祭>父の初代三平さんの思い出を語る林家三平
Photo By スポニチ

 音楽家の細野晴臣(78)が30日、東京・浅草演芸ホールで「昭和の爆笑王 初代林家三平生誕100年祭」に出演した。この日は初代三平さんの誕生日。三平さんの次男の二代目林家三平(54)らと三平さんの思い出を振り返った。三平は父が高座を頻繁に降りて客席に足を踏み入れるため足袋の裏が黒かったことを告白。「お弟子さんが洗うのが大変だった。亀の子たわしでずっと洗っていた」と当時を振り返った。

 細野は三平さん直筆の色紙を持ってトークセッションに登場した。細野と三平さんの最初の出会いは、小学校5年生の時に祖父に連れられてきた浅草の寄席だった。「呆れて、子供の頃にくだらねーなと思った。それ以来ファンになりまして」と率直な感想を交えて、第一印象を語った。

 「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」結成後はメンバー3人で三平さんのものまねにハマっていた時期もあった。アルバム「増殖」のB面には三平さんをパロディーした「林家万平」が登場する。伊武雅刀(76)がものまねで声をあてている。「それを聞いて、スタジオでまねのまねをしてましたね」と懐かしんだ。3人はスタジオの窓を開けて、夜な夜な街に三平さんのものまねを披露していたことを暴露。誰が最初に上達したか問われると細野は「僕でしたね」と即答した。対照的に坂本龍一さんについては「全然似ていなかった」とバッサリ斬り捨てて、笑いを誘った。

 サインの日付は1980年6月6日で高橋幸宏さんの誕生日。三平さんが亡くなる数カ月前のものだった。「師匠はわれわれ青二才を先生方と呼んでくださった」と回想。サインは今でも大切にスタジオに飾っているという。

 息子の三平からは父の代名詞「好きです(ヨシコさん)」のレコーディングを懇願された。細野も意欲を見せて「やります」と力強く言い放ち、会場からは大きな拍手が起こった。今後どのような展開を見せるのか、こちらも注目だ。

続きを表示

「細野晴臣」特集記事

「美脚」特集記事

芸能の2025年12月1日のニュース