【岸本加世子 我が道16】ご本人の前で「真赤な太陽」 美空ひばりさんが本気で歌った後に…

[ 2025年11月17日 07:00 ]

美空ひばりさん(左)、和也さんとディズニーランドでの一コマです
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 1989年6月24日に永眠された美空ひばりさん。最後の3年間、濃密な時間をご一緒させていただきました。温泉旅行にお供したり、お芝居を観(み)に連れていってもらったり…。

 こんなこともありました。息子の加藤和也さんから「今日、おふくろがディズニーランドに行きたいって言うからさ。一緒に行こうよ」と、突然のお誘いです。私が「仕事で渋谷のスタジオに午後3時に入らなきゃならないから」とお伝えしても「それまでに送るから」と和也さん。そしてこの日、ひばりさんとダンボに乗ったことは忘れられません。

 カラオケでのエピソードもあります。よく六本木のお店に連れていっていただきました。貸し切りにして、ひばりさん、私、和也さん、そして「ノリさん」というお付きの方の4人。ひばりさん、本気で歌ってくださるんです。

 そのうちに、私にも「歌え歌え」っておっしゃる。

 「歌はダメなんです。ましてやひばりさんの後に歌うなんて無理です!」

 と、お断り続けても「歌え歌え」と(笑い)。

 観念した私はマイクを手に「真赤な太陽」を選曲。ふとひばりさんを見ると、ソファから転げ落ちんばかりに笑っている。そして歌い終わるとひばりさんがこんなことをおっしゃいました。

 「私にもしものことがあったら、美空ひばりの役はあんたがやるのよ。そのくらい、あんたは歌はうまいから!」

 つまり、そのくらいヘタだという、ひばりさんのジョークなのでした(笑い)。

 49歳だった87年4月に大腿骨頭壊死(えし)と慢性肝臓病などで入院。再起不能と言われながら、翌88年には東京ドームで「不死鳥」コンサートを開催して復活。しかし、その後、再び体調を悪化させ、ひばりさんはついに帰らぬ人となりました。

 東京都港区の青山葬儀所で89年7月22日に本葬が営まれ、お別れを告げるために4万2000人のファンが参列。東京だけじゃなく、大阪や名古屋など全国7都市のホールなどに祭壇が設けられ、計7万人が拝礼したと当時の新聞は伝えていました。

 その生涯をドラマ化するべく、テレビ各局が動いたようですが、そんな中、生前のひばりさんが唯一許可していた企画があったそうです。評論家でノンフィクション作家の上前淳一郎さんが78年に発表した「イカロスの翼~美空ひばりと日本人の40年」(文芸春秋)をもとに、Gカンパニーという制作プロダクションのプロデューサーがA4用紙にワープロ打ちで企画書を作成。出版社を通じてひばりさんサイドに打診したところOKをいただけたそうです。脚本は佐伯俊道さん。ひばりさん役に起用されたのが、私でした。

 ◇岸本 加世子(きしもと・かよこ)1960年(昭35)12月29日生まれ、静岡県島田市出身の64歳。77年、テレビドラマ「ムー」で女優デビュー。以降、テレビ、舞台、映画、CMなどで幅広く活躍。ドラマ「あ・うん」、舞台「雪まろげ」、北野武監督の映画「HANA―BI」「菊次郎の夏」など代表作多数。著書に小説「出てった女」、エッセー「一途」など。

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