【売野雅勇 我が道4】7歳の時、平尾昌晃さんが甘い声で知ったエロス

[ 2025年8月4日 07:00 ]

近所の飼い犬ペリと
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 平尾昌晃さんが甘い声で歌う「星はなんでも知っている」にしびれたのは7歳の時。音に乗った「歌詞」に熱狂した初めての経験でした。

 ♪生まれて初めての 甘いキッスに胸がふるえて泣いたのを――。ラジオで平尾さんの歌声が聴こえるたび、キュンとしました。“キッス”ってどんなものなのかなぁと憧れ、同時にこのサビを聴くとエロスがこみ上げてくるのを感じました。子供でしたが、この感情は人には言えない領域のものだと知っていました。

 魂が揺さぶられ、歌詞やメロディーが、声という肉体を通して色香を醸し出すということをこの時に感じ取った僕は、作詞家になった後も少年期に感じたエロチックな情感を歌詞の中で表現したいと思うほど影響されました。

 偶然ですが、僕のデビュー曲となったシャネルズ「星くずのダンス・ホール」やチェッカーズ「星屑のステージ」など思い出深い曲のタイトルに“星”の文字が輝いていることには、因縁めいたものを感じます。やはり種はまかれるものなんですよね。

 歌謡曲に特別興味があったわけではありませんが、守屋浩「僕は泣いちっち」もお気に入りでした。実は8歳の頃、足利で守屋さんのコンサートがあり、ウチの近所の旅館に泊まっていると知り、大人たちに交じって歩道で守屋さんを出待ちしたことがあるんです。道路に出てきた黒いクラウンの窓を覗(のぞ)き込むと、守屋さんの横顔が見えました。その瞬間、車道に飛び出していた僕の小さな足を車が轢(ひ)いて走り去ったんです。「痛い!」と言うのも忘れてしまう一瞬の出来事。それがスターを見た初めての経験でした。

 洋楽とかポップスに興味を持つ入り口となったのが坂本九さん。「上を向いて歩こう」が大ヒットする前の「ダニー飯田とパラダイス・キング」のボーカルとして洋楽のカバーを日本語詞で歌っていた時代です。浅草に住んでいた叔母の和子が「これが東京で流行(はや)っているのよ。凄くカッコいいから聴いてごらん」と教えてくれました。九ちゃんと一緒に和製ポップスを歌う石川進が僕と同郷と知った時は「こんなに凄い人が足利にいたのか!」と仰天しました。同じ頃、母と同じ小学校に勤めていた先生から、古いアコースティックギターをもらいました。「禁じられた遊び」を弾き始め、彼に教わった「プラターズ」をきっかけに、ボーカルを主体とした「ドゥーワップ」や黒人音楽に魅了されていきました。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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