林家木久扇 絵を描くことは「生きている証」 90歳目前も衰えぬ意欲

[ 2025年7月6日 05:00 ]

絵筆を手にイラストを描く林家木久扇(撮影・会津 智海)
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 【夢中論】落語家の林家木久扇(87)には幼い頃から自らの身を助けてきた特技がある。それは絵を描くこと。生家の近くにあった東京・明治座の看板の写しに始まり、80年以上たった今でも創作意欲は衰えない。「絵を描くと自分が何者か分かる」。自宅のアトリエでの時間が木久扇を木久扇たらしめている。 (前田 拓磨)

 ゆったりとしたギター歌謡、時に師匠の八代目林家正蔵(彦六)さんの落語。部屋に流れるお気に入りのBGMに乗せ、絵筆を走らせる。「落語と違って、絵を描く時は“個”になれます。それで自分が何者かというのが分かるんです」と紙に向かう心境を語る。膠(にかわ)の入った明るい和絵の具を愛用。取材日には最近訪れた米ハワイの風景のイラストなどを仕上げていた。膠とミョウバンを塗り、にじみを防止する“ドーサ引き”を施したこだわりの奉書に描く時間は、木久扇にとって自分と向き合う大切な時間だ。

 絵を描き始めたのは幼稚園児の頃。遊び場の浜町公園(東京都中央区)の近くにあった明治座の大きな絵看板に憧れた。「家に帰って伝票の裏に描く。それをおばあちゃんに見せるとコンペイトーなんかをもらえた。絵を描くとギャラが出るっていうのを覚えたんですね」。そんな成功が絵を描く原体験となっている。

 戦時中は青森県に疎開。だが、東京の言葉を話す木久扇は地元の子供たちとなじめず、いじめの対象となった。そんな窮地を救ったのも絵だった。「戦闘機とか戦車を描いたんです。すると、絵が描ける子だということで尊敬されるようになったんです」

 代表作の「木久蔵錦絵」や美人画、果ては絵本と作風は多岐にわたる。根幹には、黄桜酒造のカッパCMなどで知られる漫画家清水崑さんの書生として学んだ確かな技術がある。1983年には初個展を開き、その後も各地で展覧会を開いてきた。50代に入る頃、再びデッサンを学びに、日本画教室に数年通うなど腕前の向上に余念はない。

 スランプに陥ることなく、多くの作品を描き続けてきた。「描けば描くほど自分の画風が出来上がっていくのが面白い。葛飾北斎とか昔の人の構図を参考にするのも面白いです」。アトリエや倉庫には北斎、東洲斎写楽ら江戸の画家の画集が大量に集積されている。その膨大な作品の中から面白い構図などを組み合わせて、自らの画風に落とし込む。

 中でも影響を受けたのが北斎だ。晩年「画狂老人卍」を名乗り、描くことへの執念をにじませた浮世絵の巨人。「心から尊敬しています。あそこまで植物や建物をうまくは描けないですが、絵に向かう姿勢は見習いたいですね。落語を含めて僕も“人生の漫画狂”だと思います」。漫画を含む多彩な創作と、90歳を目前にして衰えぬ意欲。北斎と自らを重ねるように口ぶりに熱がこもる。新たにアニメを作る野望も温めている。「お金も時間もかかるけど、5分でいいから僕の絵を動かしたいんですよね」と目を輝かせる。

 絵には話すことと違う魅力がある。「落語というのはしゃべっても、いずれは消えていってしまうもの。でも活字や絵は残る。だから生きている証として、僕はとても大切にしています」。描くことに魅せられた噺家(はなしか)が、米寿になって描く世界で何を見せてくれるのか楽しみだ。

 ○…木久扇の代名詞といえば「林家木久蔵ラーメン」。笑点でも、たびたび他の共演者からネタにされてきた。そんなラーメンは木久扇の米寿記念として、今年6月に「シン林家木久蔵ラーメン」として生まれ変わった。シンには新、進化、本質の3つの意味が込められている。木久扇が「もうコクも違いますし、味も格段と上がりました」と太鼓判を押す出来だ。

 ◇林家 木久扇(はやしや・きくおう)本名・豊田洋(とよた・ひろし)。1937年(昭12)10月19日生まれ、東京都出身の87歳。56年に清水崑に入門。60年8月に三代目桂三木助に入門。翌年八代目林家正蔵門下に移り、林家木久蔵を名乗る。69年に笑点のレギュラーメンバーになり、昨年まで歴代最長の55年務める。73年に真打ち昇進。日本漫画家協会参与。

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