奈良岡朋子さん「新たな旅」へ 93歳死去 劇団民芸代表 舞台7000ステージ、「おしん」ナレーション

[ 2023年3月30日 04:45 ]

80年、劇団民芸の舞台で活躍した奈良岡朋子さん
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 新劇界を代表する演技派女優で劇団民芸代表の奈良岡朋子(ならおか・ともこ)さんが23日午後10時50分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。葬儀は26日に近親者で行った。喪主は民芸演出家のめい丹野郁弓(たんの・いくみ)さん。故人の遺志によりお別れの会などの予定はないという。70年以上にわたり、舞台をはじめ、映画やテレビの第一線で活躍。民芸劇団員の精神的支柱であり続けた。

 93歳にして持病はなかったという奈良岡さん。しかし、22日に都内の自宅マンションで呼吸が荒くなり入院。治療を受けていたが、翌23日に丹野さんが見守る中、帰らぬ人となった。

 同じマンションに住み、親交があった石井ふく子プロデューサー(96)は3月上旬、奈良岡さんが救急搬送される場面に遭遇。「元気になってね。またね」と声をかけたところ、うなずいたものの、声を発することはできなかったという。22年2月に岡本健一(53)と共演した朗読劇シリーズ「ラヴ・レターズ」(渋谷・パルコ劇場)が最後の舞台となった。

 「新たな旅が始まりました」と書き出すお別れコメントを生前に残していた奈良岡さん。「向こうへ着いたらすぐに宇野(重吉)さんを訪ねます」と劇団民芸創立者との再会を期待。影響を受けた杉村春子さんと「どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします」とつづった。

 父は日展参与を務めた洋画家の奈良岡正夫氏。DNAを受け継いだ娘の奈良岡さんも戦後、女子美術専門学校(後の女子美術大)で学んだ。在学中の1948年に民衆芸術劇場付属俳優養成所を受験し、補欠ながら合格。500人以上が応募して合格者は47人。正夫氏の反対を押し切っての受験だった。50年に民芸創立に参加。その後「イルクーツク物語」のワーリャ、「奇跡の人」のサリバン先生などが当たり役となるなど、深みのある演技で存在感を発揮。劇団の代表的存在となった。

 2000年に民芸代表だった滝沢修さんの死去を受け、同期生の大滝秀治さんと共同代表に就任。12年の大滝さん死去後は1人で代表を務めた。民芸での出演は7000ステージを超えた。

 舞台だけでなく、早くから映像の世界にも進出。映画では新藤兼人監督「原爆の子」や黒澤明監督「どですかでん」など日本映画を代表する監督の作品で名脇役ぶりを見せた。

 テレビドラマでは、「ありがとう」や「おんなの家」シリーズなどTBS日曜劇場を中心に活躍。NHK大河には第1作の「花の生涯」をはじめ多くの作品に出演。NHK連続テレビ小説「おしん」などでナレーションを担当。落ち着いた語り口で高い評価を得た。

 私生活では生涯独身を貫いた。「恋は舞台の上だけ」と周囲に語っていたという。

 13年からは、原爆の悲惨さを伝える一人語りの舞台「黒い雨~八月六日広島にて、矢須子~」を各地で公演。ライフワークとして平和を訴え続けた。今年夏の上演も計画されており、強い意欲を見せていたが、その思いはかなわなかった。

 ≪92年紫綬褒章、00年勲四等旭日小綬章≫

 奈良岡 朋子(ならおか・ともこ)1929年(昭4)12月1日生まれ、東京都出身。48年に民衆芸術劇場(第1次民芸)の研究生となり、同年の「女子寮記」で初舞台。「地の群れ」「どですかでん」で70年に毎日映画コンクール女優助演賞、01年には「ホタル」でブルーリボン賞助演女優賞を受賞。このほか、92年に紫綬褒章、00年に勲四等旭日小綬章を受章。

 ▽劇団民芸 「多くの人々の生きてゆく歓(よろこ)びと励ましになる」ような民衆に根ざした演劇芸術を作り出そうと1950年に旗揚げ。リアリズムを基調とする舞台で戦後新劇界をリード。60年代後半からは演目の幅を広げ、多い年には年間14作品を上演。現在も年間160前後の公演を実施している。

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