海老蔵「息子が私という苦労の絶えない人生」涙で父語る

[ 2013年2月28日 06:00 ]

遺骨を持った市川海老蔵が来場者に一礼し車に乗り込む

 肺炎のため3日に66歳で亡くなった歌舞伎俳優の市川団十郎さんの本葬が27日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。俳優仲間やファンら約2500人が参列。喪主を務めた長男で歌舞伎俳優の市川海老蔵(35)は団十郎さんがのこした辞世の句を披露。2010年11月の暴行事件で矢面に立ってくれた父について「息子が私という苦労の絶えない人生でしたが、いつも明るく優しかった」と涙ながらに振り返った。

 目を真っ赤にして、あいさつに立つと「とても寂しいです」と語り始め、「しかし、父の子として生まれて本当に幸せでした」と、落ち着いた口調で続けた。

 団十郎さんは若くして両親を相次いで失い、04年に白血病を発症。05年に再発し、「無間地獄」と自ら表現するほどの厳しい闘病生活が続いた。海老蔵が暴行事件に巻き込まれた際には息子に代わって謝罪し、矢面に立った。

 そんな波乱の生涯は、長男から見ても「若くして、父と母を失い、白血病という大病を2度も患い、そして息子が私という苦労の絶えない人生でした」。それでも、弱音を吐かず、家族を温かく包んでくれた人柄について「いつも明るく優しく大きく、どーんとした父でした」と涙を浮かべながら語り、深い感謝の思いをうかがわせた。

 本葬後の会見では、団十郎さんと師弟役で共演した映画「利休にたずねよ」でのエピソードを披露。撮影は昨年末に行われ、初の映画共演となったが、団十郎さんの遺作にもなってしまった。

 劇中で、海老蔵が師匠役の団十郎さんに「申し訳ございません」と謝ると、団十郎さんが「大変迷惑をしたわ。しかし、興があったぞ」と返すシーンがあるそうで、海老蔵は「なんかね…」と迷惑を掛けっぱなしだった父に思いをはせた。

 この日は、第2子の男児を妊娠中の妻でフリーキャスターの小林麻央(30)は欠席。海老蔵は「体が冷えるので」と説明した。さらに、団十郎さんが生前、麻央について「僕にはもったいない女性。いい嫁をもらって安心した」と話していたといい、子供の名前について「随分前に決まっていて、父もそれを知っていた」と明かした。「父は孫との共演の夢が強かった。いつか僕も孫と共演できるように精進したい」と思いを語った。

 今後は3月に舞台、4月に新歌舞伎座のこけら落とし公演、8月に初の自主公演が開催される。海老蔵は「あすからは少しでも明るい話題を提供できるよう意識してやっていきたい」と前を向いた。

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