氷川きよし“生みの親”死去に「大恩人です」

[ 2012年5月5日 06:00 ]

 芸能事務所「長良グループ」会長の長良じゅんさん(74)が滞在先の米ハワイで事故で死去してから一夜明けた4日、所属タレントが追悼のコメントを発表した。長良さんが育てた演歌歌手の氷川きよし(34)は「自分を生み、育ててくださった大恩人です」と精いっぱいの感謝の言葉で突然の死を悼んだ。遺体は来週以降に日本へ戻され、身内だけの密葬後、お別れ会を執り行う方向だ。

 「長良会長には本当に多くのことを教えていただきました。あんなに凄くて、温かい方はいません」。氷川は3日、長良さんの長男で長良グループ代表の神林義弘氏から電話で悲報を知り、ぼう然としたという。

 長良さんとの出会いがなければ「歌手氷川きよし」は存在しなかった。高校卒業後の96年に福岡から上京した氷川は、作曲家水森英夫氏の元で修業。だが、芸能事務所のオーディションに落ちる日々が3年続いた。

 「これで駄目だったら演歌をやめろ」と水森氏に言われ「これが最後」と決心して会いに行ったのが長良さんだった。「歌ってみろ」と言われ、目の前で故三波春夫さんの「雪の渡り鳥」などを歌った。長良さんはその場で「よし!うちでやろう」と即決。「ピンとくるものがあった」とその理由を明かしている。

 「40年に一度の大勝負」と意を決し、企画から制作、営業まで自ら駆けずり回った。ビートたけし(65)に紹介し「氷川きよし」という芸名をつけてもらったのも長良さんのアイデア。まさに芸能界の父親だった。

 「僕と会うとき、長良会長はいつも僕のグッズの“HK”ロゴが入った帽子をかぶって“きよし元気か”と笑顔で声を掛けてくださいました」と明るい人柄をしのんだ氷川。「いつものように、またお会いできるような気がしてなりません」と突然の死をまだ受け入れられない様子だ。

 遺体は現地で火葬せずに日本へ戻る予定で、手続きなどのため来週以降になる見込み。演歌界を代表した重鎮だけに、密葬後の「お別れの会」には多くの著名人が訪れることになりそうだ。

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2012年5月5日のニュース