「ハードボイルドだど」…内藤陳さん、食道がんで死去

[ 2011年12月31日 06:00 ]

死去した内藤陳氏(提供写真)

 著作「読まずに死ねるか!」で知られるコメディアンで日本冒険小説協会会長の内藤陳(ないとう・ちん、本名陳=のぶる)さんが28日午後10時19分、食道がんのため東京都品川区の病院で死去した。75歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行った。喪主は弟黒瀬功(くろせ・いさお)氏。後日、関係者によってお別れの会が開かれる予定。

 東京・新宿ゴールデン街でバー「深夜+1(プラスワン)」を経営していた内藤さん。訃報が伝えられた30日夜、バーには故人をしのぼうと常連客が何人か駆けつけた。

 「深夜…」で11年間、働いている須永祐介さん(33)によると、4年前に直腸がん、2年前には食道がんを患って入退院を繰り返し、11月下旬に再入院。28日夜、病院内で話をしている時に痰(たん)がからんだため「深呼吸しましょう」と声を掛けたところ、大きく息を吸って笑い、そのまま静かに息を引き取ったという。

 入院中も書店に出掛けて新しい本を買い求めるなどして読みあさっていた。見舞いに訪れる度に「あの本、読んだか」。病室の枕もとには西村健氏の「地の底のヤマ」。新宿区内の自宅は「まるで本の山脈のようだった」(須永さん)。

 冒険小説、ハードボイルド小説好きとして知られ、81年から月刊誌で小説を紹介するコラム「読まずに死ねるか!」を執筆。同年に「日本冒険小説協会」を設立し会長に就任。同年にオープンさせたバー「深夜…」は、英国のギャビン・ライアルの小説から名付けた。

 常連の男性客は「直腸がんを患ってから医者に酒を飲むなと言われていた。でも、客がいくら飲むなって言っても好きなウイスキーをあおっていた。最近は店で会長の姿を見ることが少なくなり心配していました」と話した。常連客には作家の馳星周氏や大沢在昌氏、映画監督の三池崇史氏らがいたという。

 62年にコメディーグループ「トリオ・ザ・パンチ」を結成。「ハードボイルドだど」などのギャグで注目を集めた。俳優としても活動し映画「麻雀放浪記」(84年)、「月はどっちに出ている」(93年)などに出演。11月に喉頭がんのため75歳で死去した落語家の立川談志さんとも50年来の親交があり、立川流にも名を連ねていた。

 ▼佐藤英明監督(4月公開の映画「これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」監督、日本冒険小説協会会員)クリスマスにお見舞いに行ったときはお元気そうでした。病気のことは知っていましたが、協会の30周年が控えていたのでどうしても出演していただきたくオファーしました。何とか公開が間に合って良かったという思いでいっぱいです。

 ◆内藤 陳(ないとう・ちん、本名陳=のぶる)1936年(昭11)9月18日、東京都生まれ。日大芸術学部中退。父はプロレタリア文学作家内藤辰雄。中2のとき、父から勘当され家出。役者を志し、榎本健一の映演プロを卒業。66年に日劇ミュージックホールの踊り子だった坂巻史子と結婚したがのち離婚。93年公開の映画「月はどっちに出ている」などに出演。

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2011年12月31日のニュース