「黄金の日日」など多くの脚本手がけ…市川森一さん死去

[ 2011年12月11日 06:00 ]

先月、NHKドラマ「蝶々さん」前編完成試写会に出席した(左から)市川森一さん、西田敏行、宮崎あおい

 「傷だらけの天使」「黄金の日日」などのテレビドラマや「ウルトラセブン」など特撮シリーズで知られた脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)さんが10日午前4時43分、肺がんのため東京都渋谷区内の自宅で死去した。70歳。長崎県諫早市出身。葬儀は長崎県と都内の2カ所で営まれる。11月に放送されたNHK「蝶々さん」も手がけ、好評を得ていた矢先だった。

 肺がんで闘病していたことは、ごく一部の親しい関係者にだけ2カ月前頃から伝えていた。悲報に接し、遺体と対面した関係者は「痩せこけた感じはなく、顔色も普通。まるで寝ているようだった」と話し、「がんと長く闘ったようにはとても見えない」と話した。作家仲間や俳優たちからは一様に「元気そうだったのに、なぜ」と驚きの声が上がった。11月上旬には旭日小綬章の伝達式に出席。足取りこそしっかりしていたが顔色はすぐれなかった。

 同月11日、自作の長編小説をドラマ化した「蝶々さん」の試写会でも姿を見せ「こういう作品が遺作になるなら、幸運だ」と、運命を悟っているかのような発言をしていた。

 関係者によると、市川さんは「病気のことはあまり広めないで」と、周囲に隠しながら活動していたという。

 市川さんは24歳だった66年、特撮番組のはしり「快獣ブースカ」でデビュー。子供向け作家としてスタートを切った。その後ウルトラマンシリーズに携わり「セブン」から「A」まで担当。子供向け作品ながら、単純な勧善懲悪の物語を嫌い、「正義の仮面をつけた悪も存在する」「異星人は本当に悪なのか」などのメッセージを込めた作品を多数送り出した。

 70~80年代にかけては主流だったホームドラマからの脱却を掲げた作品を発表。「人間の内面を映像化する」という理想のもと「傷だらけの天使」や、第1回向田邦子賞を受賞した「淋しいのはお前だけじゃない」など、人間の聖と俗や拝金主義を描く名作を連発した。

 「ホームドラマを書けない作家」のレッテルに苦悩しながら、「黄金の日日」など大河ドラマ3作を手がけるなど、大御所の地位を確立。枠組みやしがらみにとらわれないスタイルを貫いた。

 コメンテーターや司会でも活躍。脚本と同様に人間の内面に踏み込みながらも、簡潔明瞭な発言で人気を集めた。日本放送作家協会会長を務め、“使い捨て”にされるシナリオの保存、管理に向けても尽力した。

 ◆市川 森一(いちかわ・しんいち)1941年(昭16)4月17日、長崎県生まれ。県立諫早高を経て日大芸術学部を卒業。修業時代は放送作家のはかま満緒氏に師事しコントを書くなどした。81年にドラマ「港町純情シネマ」で芸術選奨文部大臣新人賞、89年に山田太一氏原作の映画「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。03年に紫綬褒章を受章。

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