演劇界の風雲児、美学貫き…つかこうへいさん逝く

[ 2010年7月13日 06:00 ]

肺がんのため10日に死去したつかこうへいさん

 「蒲田行進曲」「熱海殺人事件」などの映画や舞台で知られた劇作家、演出家で作家のつかこうへい(本名金峰雄=キム・ボンウン)さんが10日午前10時55分、肺がんのため千葉県鴨川市の病院で死去した。所属事務所が12日、明らかにした。62歳。福岡県出身。葬儀・告別式は近親者ですませた。生前、「対馬海峡あたりで散骨して」と“遺言”を残していた。厳しい指導で多くの実力派俳優を育ててきた演劇界の革命児の悲報に、教え子たちは悲しみに暮れている。

 在日韓国人2世であることを公表し、タブーに挑み続けた“演劇界の風雲児”らしい最期だった。
 つかさんが、肺がんであることを知ったのは昨年9月。以前から糖尿病を患い体調はすぐれなかったが、当時演出していた舞台「飛龍伝2010 ラストプリンセス」を「オレの最高傑作」と言い切るほど入れ込んだ。周囲に病状を知らせないまま稽古場を訪れ、キャストにば声を飛ばすなど、普段通りの厳しい演技指導を行っていた。
 昨年末から今年初めごろ、千葉県鴨川市の亀田総合病院に入院。今年1月25日に肺がんを公表し、抗がん剤治療などを続けた。病院には「飛龍伝」の稽古のビデオを持ち込み、病床から電話で演技を指導するなど、最後まで意欲を見せていた。
 手術や延命措置は拒否。親しい関係者に「自分が死んでも誰にも言わないように」「お別れ会もしないように」などと言い残していた。
 一方で、亡くなった時のためのコメントを今年元旦から用意しており、12日午後6時すぎにマスコミ各社に送付。4月に一時退院した際、封筒に入れて「死んだら開封するように」と事務所のマネジャーに預けていた。関係者は「見事なほど美学を貫いた最期でした」と悼んだ。遺志に沿って葬儀は密葬で執り行われ、遺体はだびに付された。お別れ会などを開く予定もない。
 つかさんの名を広めたのは82年公開の映画「蒲田行進曲」。80年に初演された舞台を、自身で脚色し深作欣二監督、風間杜夫(61)主演で映画化。大ヒットし、小説は直木賞を受賞。映画のテーマ曲はJR蒲田駅(東京都大田区)の発車メロディーになっている。
 つかさんが稽古中に思いついたセリフを口にし、役者が繰り返し、芝居を作っていく「口立て」という独特の演出方法は有名。厳しい指導で平田満(56)、筧利夫(47)らを育て、内田有紀(34)や石原さとみ(23)らアイドルを演技派女優に脱皮させた。
 プライベートでは女優の熊谷真実(50)と80年に結婚し、82年に離婚。翌83年に元つかこうへい劇団の生駒直子さん(48)と再婚し、長女で女優の愛原実花をもうけている。熊谷は「ご冥福をお祈りします」とのコメントを出した。

 ◆つか こうへい 本名金峰雄(キム・ボンウン)。1948年(昭23)4月24日、福岡県出身。慶大在学中からアングラ劇の活動を開始し、69年に「赤いベレー帽をあなたに」で劇作家デビュー。74年に「熱海殺人事件」で岸田国士戯曲賞を当時最年少の25歳で受賞。同年、「劇団つかこうへい事務所」を設立し、「ストリッパー物語」などテンポのよい演出とユーモアで70~80年代初めにブームを起こした。07年に紫綬褒章受章。

続きを表示

2010年7月13日のニュース