石川さゆり号泣…吉岡治さん無言の帰宅

[ 2010年5月19日 06:00 ]

涙を堪え吉岡治氏遺体が安置されている事務所マンションに入る久江夫人(左)と石川さゆり

 17日に76歳で死去した作詞家の吉岡治さんの遺体が18日午後2時前、東京都文京区春日のマンションにある事務所に無言の帰宅をした。事務所には川中美幸(54)、五木ひろし(62)ら、作品の提供を受けた歌手が弔問。名曲「天城越え」を歌った石川さゆり(52)は遺体の傍らで泣き通した。また、この日までの病理検査で死因は心筋梗塞(こうそく)と判明した。

 石川は午後3時すぎに弔問。前日夜から眠れなかったのか、顔は青白く憔悴(しょうすい)しきっていた。外で待っていた吉岡さんの妻・久江さん(74)を見ると左腕にしがみつき、大粒の涙をこぼした。
 それから4時間、吉岡さんのそばを離れることができなかった。午後7時頃に事務所を出た際も「すいません、気持ちが落ち着かなくて…。何も…本当に、言葉が浮かびません。ごめんなさい」と言葉を振り絞るのがやっと。恩師を亡くしたショックの大きさを物語っていた。
 関係者によると、石川は17日、高松市での昼夜2公演の間の休憩中に悲報に接した。この時も言葉を失ったというが、夜の部では気丈に振る舞い、18日午前に帰京した。
 続いて弔問に訪れた川中には、「美幸ちゃん、大事に歌っていこうね」と涙ながらに話しかけた。久江さんと3人で思い出を振り返るうち、ようやく気持ちが落ち着いたという。
 「越前岬」などを歌った川中は「先生とのデュエット曲を出したのが印象深いです。うまくはなかったですけど、非常に味のある歌でした。今となっては宝物ですね」としんみりと語った。昨年、吉岡さんは体調が思わしくない中、レコーディングに駆け付けてくれ「ダメだよ男は、食欲も性欲もなくなったら」と冗談を言っていたという。「なんだかチャーミングで、正直憎めない方でした。詩を大事に歌い継いでいきたいです」と誓った。
 午後6時ごろには「細雪」の提供を受けた五木が訪れ、「作品に対しては自分のすべてを懸け、情熱を持っておられた方でした」と振り返った。「(アルバムなどに収録された)表に出てない先生の作品をあらためて見直したい。再び世に送り出すことも考えてます」と話した。
 この日午前中には、入院していた都内の病院で病理解剖が行われた。
 通夜は24日午後6時、葬儀・告別式は25日午前11時から、いずれも東京都中央区の築地本願寺第二伝道会館で営まれる。

 ≪幻のデュエット“復刻”も≫川中と吉岡さんのデュエット曲は00年11月発売のアルバム「出張物語 川中美幸魅惑のデュエット曲集」に収録された「なにわの女」。作曲した弦哲也氏(62)が1、3コーラス目を歌い、作詞した吉岡さんは2コーラス目で歌声を披露している。現在は廃盤となっているが、発売元のテイチクは、同曲を収録した追悼盤制作の検討に入った。

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2010年5月19日のニュース