森繁さん追うように…水の江滝子さん逝く

[ 2009年11月22日 06:00 ]

1993年生前葬を行った水の江滝子さん

 「ターキー」の愛称で親しまれた元女優で、映画プロデューサーとしても活躍した水の江滝子(みずのえ・たきこ)さんが16日午後6時15分、老衰のため神奈川県内で死去した。94歳。北海道出身。葬儀は近親者で済ませた。93年2月に生前葬を営んで話題を呼び、その際に葬儀委員長を務めたのが10日に96歳で死去した森繁久弥さん。その森繁さんを追いかけるように静かに旅立った。

 戦前、戦後を通して芸能界に大きな足跡を残したスターがまた1人逝った。神奈川県内のみかん畑に囲まれた山あいの自宅で余生を送った水の江さん。親族が17日に密葬を済ませた。
 養女の大下昌枝さんは「自然に、静かに亡くなりました。生前葬も済ませてますので身内だけで静かに送りました」と語った。今年春に肺炎にかかり、ほどなく回復したものの今月に入って体力が低下、眠るように息を引き取った。大下さんは「森繁さんが亡くなったことも伝えましたが(理解できたかどうか)…」と話した。遺骨は姉の初枝さんが眠る小田原の墓に納骨される予定。
 近隣住民によると、70年の引っ越し当初はポニー、愛犬と一緒に悠々自適の生活。足腰が弱った晩年は自宅と県内にある大下さん宅、介護施設を行き来しながら、趣味の宝石デザインなどをして暮らしていたという。
 戦前からSKD(松竹歌劇団)のスターとして活躍。シルクハットにタキシード姿の「男装の麗人」として一世を風びした。54年にプロデューサーとして日活に招かれ、故石原裕次郎さんを「太陽の季節」で世に送り出し、その後も「狂った果実」などを製作。浅丘ルリ子(69)らも発掘した。「ジェスチャー」(NHK、53年~)や「独占!女の60分」(テレビ朝日、75年~)の司会でお茶の間にも親しまれたが、85年においの故三浦和義さん(08年10月に米ロス市警留置場で死去)がロス疑惑で騒がれたのを機に表舞台から姿を消した。
 久しぶりに脚光を浴びたのが93年に都内ホテルで営んだ生前葬。前年夏に行われた作曲家いずみたくさんと作詞家の中村八大さんの追悼コンサートを見て「死んでから来てもらってもつまらない」と発案。53年の舞台引退時の“遺影”を前にイブニングドレスに身を包み、籐(とう)椅子に座った水の江さんは500人の参列者を前に「本当に良かった」と感激。葬儀委員長の森繁さんは「強引に委員長を任された」と苦笑いしていたが、今頃は裕次郎さんも含め天国で思い出話に花を咲かせているに違いない。

 ◆水の江 滝子(みずのえ・たきこ)1915年(大4)2月20日、小樽市生まれ。本名は三浦ウメだったが改名、芸名を本名にした。28年に東京松竹楽劇部(のちに松竹少女歌劇団、松竹歌劇団に改称)1期生として入団。戦後は映画プロデューサーとして76本の日活作品を製作。俳優として映画「サンダカン八番娼館 望郷」や森繁さんと共演したドラマ「だいこんの花」などで活躍。94年の大林宣彦監督作品「女ざかり」が最後の映画となった。04年には「時代を作った女たち」(テレビ朝日)で生前葬以来11年ぶりのテレビ出演が話題を呼んだ。生涯独身を貫いた。

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2009年11月22日のニュース