三遊亭円楽さん死去…家族に囲まれ眠るように

[ 2009年10月31日 06:00 ]

死去した落語家の三遊亭円楽さん

 日本テレビ系の長寿番組「笑点」の司会でも人気だった落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため都内の長男宅で死去した。76歳。東京都出身。07年に現役を引退し、弟子の三遊亭楽太郎(59)に「六代目円楽」を襲名させることを表明。来年春の披露興行を待たずに無念の旅立ちとなった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 「芝浜」「中村仲蔵」などの演目を得意とし、「笑点」では「星の王子さま」の愛称で人気を集めた円楽さんが逝った。
 中野区本町の自宅で取材陣に応対した長男の寛家(ひろいえ)さん(44)によると、08年4月に手術した肺がんが5月に再発。肺の中にたまった水を抜くため9月16日に新宿区の東京女子医大に入院。同18日に軽い脳梗塞(こうそく)を起こし、手足のまひを訴えた。約1カ月を病院で過ごしたが、死期を悟ったのか「最後は家で…」という本人の希望で今月23日に退院。出入りがスムーズにできるように自宅がリフト設置工事の最中だったため、近くの弥生町にある長男宅に戻った。
 長男宅ではNHK大河ドラマ「天地人」を見たりしてのんびり療養し、26日朝に人工透析を受けるため病院へ。帰宅してから3日間は食事も取れないほど衰弱し、5歳と3歳の孫(いずれも女児)が「おじいちゃん、ディズニーシーに連れて行って」と呼びかけても力なくうなずくだけだったという。
 そして29日朝。円楽さんは妻の和子さん(76)、寛家さん夫妻、2人の孫にみとられて眠るように亡くなった。寛家さんは「呼吸が次第にゆっくりになり、安らかな最期でした。“お父さん起きて”とみんなで声をかけると、目をパチパチさせて口を動かしましたが、何と言おうとしたのか…。楽太郎さんに“円楽”を譲ることが決まってからは肩の荷が下りたようでした。死が近いことはうすうす気づいていたようです。自分には厳しく、家族には優しい父でした」と臨終の様子を明かした。遺体は自宅に移され、春風亭小朝(54)らが弔問に駆けつけた。
 晩年は病との闘いが続いた。長く腎臓を患い、05年に脳梗塞で入院。翌年「笑点」の司会を降り、07年2月25日には再起をかけて東京・国立演芸場で「芝浜」を口演したが、これが最後の高座となった。同年11月には胃がんも見つかり満身創いだった。今月、最後(27番目)の直弟子、三遊亭王楽(31)の真打ち昇進を見届けての死。周囲は「せめて楽太郎の六代目円楽襲名披露までは」と祈ったが、かなわぬ夢となった。

 ◆三遊亭 円楽(さんゆうてい・えんらく)本名吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)。1932年(昭7)12月29日、東京都台東区生まれ。55年、六代目三遊亭円生に入門。三遊亭全生(ぜんしょう)と名乗る。58年、二つ目に昇進。62年、真打ちに昇進し「五代目三遊亭円楽」を襲名。68年には日本テレビのドラマ「笑ってよいしょ」に主演。バラエティー番組にも積極的に出演し、落語家タレントの先駆けとなった。78年、落語協会の真打ち乱造に異議を唱え師匠円生と共に同協会を脱退し、新団体設立。07年2月、国立演芸場の「国立名人会」で現役引退を表明。同年、旭日小綬章叙勲受章。身長1メートル77と長身。血液型AB。

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2009年10月31日のニュース