“CM演出の天才”市川準監督59歳で急逝

[ 2008年9月20日 06:00 ]

死去した市川準さん

 CM界出身で「会社物語」「トニー滝谷」などの名作を残した映画監督の市川準(いちかわ・じゅん、本名純=じゅん)さんが19日未明、脳内出血のため東京都渋谷区の病院で死去した。59歳。東京都出身。18日夜、食事中に倒れ、搬送された病院で帰らぬ人となった。10月の東京国際映画祭に出品される短編が遺作となった。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れ会を開く。

 映画関係者も耳を疑う突然の死だった。市川監督は18日、五反田のスタジオで短編「buy a suit スーツを買う」の編集作業を1人で行っていた。大阪から上京した少女が兄を捜す姿を東京の風景を絡めて描いた作品で、完成への最終段階に入っていた。
 作業に一区切りをつけ、食事に出掛けた近くのレストランで倒れ、救急車で渋谷区内の病院に運ばれた。関係者は「病院から連絡があったのが19日午前1時ごろ。既に意識不明で、家族も臨終には間に合わなかった」と説明している。
 市川監督は画家を目指して東京芸術大学の入学を目指したが、4浪の末に断念し、75年にCM会社に就職。81年に独立してCM演出家となり、「私はコレ(小指)で会社を辞めました」のコピーでおなじみの「禁煙パイポ」や「亭主元気で留守がいい」などユニークな内容で話題を呼んだ「金鳥 タンスにゴン」など400本以上のCMを送り出した。85年にはカンヌ国際広告映画祭で金賞を受賞している。
 87年「BU・SU」で映画監督デビュー。CM界から転身する先駆者となり「会社物語」「東京夜曲」などを相次いで発表。04年にはイッセー尾形(56)と宮沢りえ(35)の共演で村上春樹氏(59)の原作「トニー滝谷」の映像化に挑み、スイス・ロカルノ映画祭で審査員特別賞を受賞した。
 固定カメラを駆使したり、時に実験的とも思える現代感覚にあふれた独特の映像表現で知られたほか、「つぐみ」の牧瀬里穂(36)、「あしたの私のつくり方」の成海璃子(16)に毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞をプレゼントするなど女優育成にも力を発揮した才人だった。

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2008年9月20日のニュース