【駒田徳広 我が道3】「ゴロを打て」の指示で本塁打 えらく怒られブチ切れて家に帰る

[ 2026年5月3日 07:00 ]

中学1年生。高校3年生の姉と
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私が通った中学の正式名称は長い。川西町・三宅町式下(しきげ)中学校組合立式下中学校。珍しい組合立の学校で、川西町と三宅町が共同で運営している。

 1975年(昭50)4月、式下中に入学すると、迷わず野球部に入った。奈良県中体連の大会で毎年ベスト4に入るような強いチームだった。

 1年生の時は試合に出られなかったが、チームは優勝。近畿大会で負けて帰ってきたのは夏休みが後半に入る頃だった。新チームの練習が始まった時、監督をやられたこともある部長の岡本眞先生に言われた。

 「お前、左で投げとるのに、なんで右で打っとるんや」

 岡本先生は強豪の天理高校出身で、左打ちが有利という考えの持ち主。右投げ左打ちの選手をたくさんつくってチームを強くするというやり方をされていた。まして私は左利き。左で打てというわけだ。

 8月の終わり。新チームになって最初の試合に出してもらった。左打ちを始めて2週間もたっていないのに3安打。全部レフト前かセンター前に飛んだ。左は慣れていないから、ただバットを振っただけ。不細工な打ち方なのに、不思議とヒットになる。ボールの捉え方やバットの入り方がよかったんだろうね。周りも驚いていた。

 そのままライトのレギュラーになって、2年生の春くらいには打球がセンターまで飛ぶようになった。その春の県大会は2番を打って準優勝した。

 2年生秋の新チームでキャプテンになってから、話しづらいことがたくさん起きる。何か問題があって「1週間反省しろ。練習休みだ」と言われた時に2年生だけ練習していたら監督が来て「やめろ言うてるやろ!」「練習やってるだけですよ」と言い合いになった。

 平日は体操着、土日はユニホームで練習するという決まりがあったのに、土日もジャージーで来る下級生に監督は何も言わない。不信感が募り、ある試合でついに爆発してしまう。「こんなもんやってられるか。もうやめるわ」と口走って帰ってしまった。

 「ゴロを打て」と指示されていて、そのつもりでバットを振ったら、打球はショートがジャンプするような低いライナーになった。左中間を抜けてランニングホームラン。これで、えらい怒られた。

 意味が分からない。カチンときて「ヒットってスタンドに入るホームラン以外は地面につきますよね。ゴロじゃないんですか?」と口答えしたら、余計に怒られて完全にブチ切れてしまったのだ。家に帰って親父に言われた。

 「4、5日はええけど、野球をやめたら暇になるぞ。あれだけ野球が好きやったんやろ。謝りに行こう」

 親父がハンドルを握る小型バイク、スーパーカブの後部座席にしぶしぶまたがった。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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