バッチバチだった掛布と岡田 1985年V当時の同僚ぶっちゃけ 真弓は高みの見物、バースは…

[ 2025年12月4日 17:16 ]

中西清起氏
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 元阪神投手コーチの中西清起氏(63)が2日放送のBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)にゲスト出演。阪神が21年ぶりの優勝と日本一を果たした1985年当時のチームメートたちについて語った。

 今から40年前、それまでなかなか勝てなかった阪神は超強力打線を武器として21年ぶりにセ・リーグ優勝。西武との日本シリーズも制して日本一に輝き、日本列島を大興奮の渦に巻き込んだ。

 当時プロ2年目だった中西氏は最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど貢献。セ・リーグ優勝が決定した10月16日のヤクルト戦(神宮)では9回に登板して延長10回まで投げ、胴上げ投手となっている。

 130試合制だった当時、チーム防御率がリーグ4位の4.16だった一方で打線はチーム打率.285、219本塁打、708打点と全てリーグ1位。3番・バース、4番・掛布、5番・岡田を中心に強打者がそろっていた。

 その強力クリーンアップによる甲子園でのバックスクリーン3連発など数々の伝説が残っているシーズンだが、当時の阪神ナインはどんな雰囲気だったのか。

 当時、中西清起(N)、平田勝男(H)、木戸克彦(K)の頭文字を取って「NHKトリオ」と呼ばれていたことについて「我々3人の耳に入るともうバーッ!って話が広がるっていう」とまずは懐かしんだ中西氏。

 番組MCを務める徳光和夫(84)から「平田さんと仲良かったんですね」と聞かれると、「平田さん、木戸さんとね」と認め、引退後も数々の“オモシロ発言”で知られる平田勝男氏(66)については「守備が抜群でした。“両サイド動かないからさぁ~!”“俺は1メートル半カバーしないとダメなんだよ”とか言って」と遊撃・平田が二塁・岡田、三塁・掛布の分も広範囲をカバーしていたことについて触れ「岡田さん、フライだめだったんで」などと語った。

 そして、遠藤玲子アナウンサー(43)から当時の掛布と岡田の関係について聞かれた。

 これに中西氏は「ライバル視はしてたんでしょうけど。(自分は)両方とも(飲みに)誘われてた、よく」とした上で「(その2人が)一緒に飲みに行くことはない。片やどっちかというと叩き上げでホームラン王も獲ってきた。片方は関西の超一流、ドラ1で入ってきて」と1973年ドラフト6位入団ながら“ミスタータイガース”にまで上り詰めた掛布雅之氏(70)と北陽(大阪)、早大を経て1979年ドラフト1位入団というエリートコースを歩いてきた岡田彰布氏(68)についてまずは説明した。

 そして、「飲みに行ったりするとね。“ライバル視してもなぁ、岡田?タイトル獲ったことあんのか?”とかね。岡田さんは岡田さんで掛布さんって言わないです。背番号で言います。“いやぁ~31番かぁ…”とかなんか。今はもうね、あれ(そんなことない)ですけど。当時はそんな雰囲気でした」と中西氏。

 「それを高みの見物で傍観してたのが真弓(明信)さん。なんか問題があっても“俺、外様だから”いう感じで。うまく傍観してたという」

 さらに「バースは試合前はいっつも将棋してました」とし、「まあまあ強かった」とも。「川藤(幸三)さんとか岡田さん相手にいつも将棋」と当時の“舞台裏”を笑顔で振り返っていた。
 

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