教え子の「エンジョイ勢」が急成長でロッテ入団…公立校で「革命」起こした指揮官が高校野球にカムバック

[ 2025年7月21日 22:59 ]

山梨学院の試合を観戦する柳田氏(撮影・柳内 遼平)
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 アマチュア野球の指導者らに采配やチーム運営などについて、インタビューする連載「指導者の思考法」。第6回は今春から山梨学院野球部をサポートしている柳田大輔氏(42)。千葉の公立校の幕張総合ではロッテ・早坂らを育てた指揮官の「転身」に迫った。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 夏の甲子園出場を決める地方大会は終盤に入った。21日。山梨学院は準決勝で甲府工を破り、3年ぶりの決勝進出を決めた。

 記者はこの試合で一塁側内野席を歩いていると、意外な顔にハッとした。23年夏の千葉大会で幕張総合の指揮官として同校初の16強入りを果たした柳田氏だ。同年のドラフトでは教え子の右腕・早坂響が4位で地元球団のロッテ入り。中学時代は無名の捕手で、幕張総合野球部には高校野球を「エンジョイ」するために入った一介の選手。2年秋から投手に転向すると約1年でプロ入りを果たした異色投手だった。

 公立校で結果を出し、さらにプロに選手を送り出す。そんな「革命」ともいえる実績を残した指揮官だった柳田氏の顔は鮮明に覚えていた。「お久しぶりです!」と声をかけると、山梨学院のウェアを着ていることに気づいた。

 「先生、なんで山梨にいるんですか」

 高校野球。私立には私立、公立には公立の難しさがある。学校と良好な関係を保ち、安定した戦績を残せば長期政権を築くことも可能な私立校の野球部指導者と異なり、公立校で野球部を指導する教職員には定期的に異動がある。柳田氏は今年3月末、幕張総合から教育総合センターに活躍の場を移していた。

 「幕張総合に10年いたので、異動はいつあってもおかしくないと思っていました。今は学校に行くことはなく、生徒とは会わない職場です」

 アツい野球への情熱を持つ柳田氏。新たな指揮官を得た幕張総合以外でも、居住する千葉の高校で外部コーチとして野球部に関わることも可能だった。ただ、その選択肢を選ぶことはないと言い切る。

 「やっぱり幕張総合にいたので、その情報を持って千葉の他校に行くのは違うかなと。もう指導の現場には当分戻れないだろうから、高校野球は終わりかな…と思っていました」

 転機は5月。幕張総合で毎年、練習試合を実施していた山梨学院に監督退任を報告した時のことだ。清峰(長崎)、そして山梨学院の2校で甲子園優勝を成し遂げた名将・吉田洸二監督から「もし、よかったらウチを手伝ってくれないか」と打診された。青天の霹靂。完全に閉じたと思っていた高校野球の扉が再び開いた。
 
 「大変光栄なことだなと。日本一の監督さんですし、日本一好きな監督さん。“そんなことを言ってもらえるなんて…”と名誉なことだと思いました」

 公務員のため副業はできない。監督として選手を見てきた「眼」を生かして、関東を中心に「好プレーヤーのたまご」の情報を届ける。2度目の甲子園優勝を目指すチームで未来の核となる選手発掘につながる役割はお金や時間に変えられない魅力がある。答えは「ぜひ、お願いします」。即答した。


 選手を観察する時、大事にしているのは野球への姿勢。中学時代は名もなき選手だったロッテ・早坂の成長過程から学んだことがある。

 「早坂は人間性がよかったから伸びたと思っています。野球をやる上で一番大切かもしれません。だからベンチへの戻り方やグラブの扱い方、仲間への声かけ…そんなところばっかり見ていますね。結局、輝く才能があっても、人の話を聞く能力や野球に向き合う姿勢がないと能力も伸びていかない。人と関わることが好きなので、実は一番合っている役割なのかなって感じています」

 幕張総合の監督時代は「入部してくる選手を育てる」。基本的にはそれが公立校の野球部だ。新たな役割で選手を見極める日々。いつの日か再び千葉の公立校を率いる日が来たとき、経験が生きるだろう。

 「やっぱり高校野球に戻ってきました。いろいろな選手を見ることができて楽しい。もう1回、日本一の監督、部長にしたい。チームのために何とか力になっていきたいです」

 高校野球が大好きな指導者が、現場に帰ってきた。

 ◇柳田 大輔(やなぎだ・だいすけ)1983年4月17日生まれ、千葉県千葉市出身の42歳。幕張総合野球部での選手時代は3年時に主将。駒大卒業後は千葉市内の中学校で3年間講師を経験した後、八千代高校では5年間野球部長。その後赴任した幕張総合では野球部の部長、監督を計10年間務めた。教え子に元ロッテの村山亮介、ロッテ・早坂響。

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