【内田雅也の追球】忍耐と欲望の配分

[ 2025年7月16日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―3中日 ( 2025年7月15日    甲子園 )

<神・中>5回、佐藤輝は空振り三振に倒れる(撮影・大森 寛明)
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 敗戦後に思えば、阪神にとって、あれが最後のチャンスだった。5回裏1死一、二塁である。

 6回以降は中日の救援陣から得点圏に走者を進められなかった(森下翔太の本塁打は除く)。

 その好機、佐藤輝明が高めボール球直球を振り三振に倒れたのだった。

 前2打席はともにフルカウントから際どい球を選び、四球を得ていた。1回裏は2死一塁、3回裏は2死無走者。一発や長打がほしい場面だが、強引にならず、次打者につなぐ姿勢が見えた。1回裏は大山悠輔の先制打につながった。

 「クリーンアップヒッター」と呼ばれる4番である。塁上の走者を掃除する役目を負う。自分で決めるという強い心が必要になる。この責任感や自負心の一方で、好球が来るまで待つ忍耐力も必要になる。この辺の心の兼ね合いは難しい。

 張本勲(本紙評論家)は好機での心構えを「がむしゃらさに冷静さが必要。欲望60%、無欲40%の割合で打っていた」と話す。「多少てんぐなぐらいがちょうどいい」。佐藤輝には素養がある。

 1985(昭和60)年に日本一となった時の4番、掛布雅之はランディ・バース、岡田彰布と前後に強打者が並ぶことで自身はつなぎ役でいいんだと辛抱できた。リーグ最多の四球(94=130試合)を選んでいた。

 一昨年の日本一当時の4番は大山でやはりリーグ最多四球(99=143試合)だった。

 1989年、阪神に在籍したセシル・フィルダーが大リーグに復帰した90年、本塁打王に輝いたとき、米マスコミは日米貿易摩擦になぞらえ「日本からの新たな輸入品」と伝えた。控え選手だった男の変身に驚いた。

 「日本で一体、何を学んできたのか?」という問いにフィルダーは「それは……忍耐だ」と答えた。「好球が来るまで打席で辛抱することだ」

 「好球必打」の基本である。この忍耐を教えたのは当時の打撃コーチ・石井晶だった。この日は2013年、73歳で逝った石井の命日だった。

 佐藤輝も目下34四球でリーグ3位タイ。何しろ四球数は大山、近本、佐藤輝、中野、森下、坂本……と上位を阪神勢が独占している。チーム四球数262もリーグ最多だ。

 一昨年、監督の岡田彰布は四球の重要性を説いた。チーム内に染みこみ、今も生きている。忍耐と好球必打を思い返す敗戦だった。 =敬称略=
 (編集委員)

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