中畑清氏 長嶋茂雄さんは「本当の神様」「万人に対して、これほど幸せと笑顔と光を授けた人はいない」

[ 2025年6月8日 16:33 ]

<長嶋茂雄氏告別式>長嶋さんの告別式で弔辞を述べる中畑さん(読売新聞社提供)
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 肺炎のため3日に89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの告別式が8日、都内の斎場で営まれた。告別式には親族、V9時代のチームメート、監督時代のコーチ、選手らが参列。巨人OB会長の中畑清氏(71=スポニチ本紙評論家)が読売新聞グループ本社、読売巨人軍を通じて弔辞を発表した。

 以下、中畑氏の弔辞全文。

 「監督、親父さん、そしてミスター。長い間ありがとうございました。あなたは私の人生の全てです。思い出は山ほどあります。忘れられないのは、伊東キャンプです。監督と二人で交わした個人ノック、忘れられません。ノックの天才ですね。飛び込んでも、飛び込んでも絶対捕れない距離感、それを打ち分ける天才です。捕れない。それに向かって、『この下手くそ、下手くそ』。私はノッカーに『この下手くそ、下手くそ』と言い返しました。たまに打ってくれるサービスボール。嬉しかったです。捕って喜んで、監督めがけて投げ返していました。そのボールに『ヒョー、ヒョー』と叫びながら、踊りまくる監督との対決が忘れることができません。私の野球人生で最高の思いです。夢の時間でした。

 そして、伊東キャンプの最終日、我々を苦しめた馬場平でのランニング。馬場平というのは急な坂道が続いていく。そして折り返し、緩やかな坂道を帰るという一周するランニングコースです。厳しいです。きつかったです。私は最後のチャンスだと思い、篠塚に『シノ、何とか監督走らせろ。1回走らせろ』とけしかけたのは私です。そしてシノは普段にはないような、監督のそこまで行ってわざわざ、『偉そうに腕組んで見てんじゃねえよ。1回、自分で走ってみろ』。すぐにです。それに対して、笑顔で挑発に乗ってくれましたよね。ペッペッと両手に唾を吐いて、『よーしっ』と一気にあの坂を登り始めたんです。一気に登り始めて、姿が見えなくなり、しばらくして、帰ってきてくれるのかなと思いましたけど、なかなか帰ってこない。やっと姿が見えた時には、もう息絶え絶え。ケツ割れして、子供がうんこ漏らしたようなそんな感じで、ヘタヘタになって帰ってくる。その姿を見て、我々選手は長嶋コールを始めました。『長嶋、長嶋、長嶋』。ゴールした時に、初めて親父さん、ご苦労さまでした。そして、雲の上にいた監督長嶋茂雄が、我々のところまで降りてきてくれたのかなという感情を持ちました。そして、みんなが長嶋ファミリーになった瞬間ではなかったかなという気がします。ありがとうございました。

 そして、もう一つは、ミスター。この言葉に本当に憧れを感じていました。一度でいいから本人に向かって『ミスター』と呼びたかったです。そのチャンスが、現役が終わり、引退した後に、監督とゴルフを、千葉県のゴルフ場で一緒にさせていただくことがありました。今日がチャンスだ、そう思って、面と向かって言うのは勇気が要ります。背後から背中越しに『ミスター』と声かけたら、『おお、どうした、キヨシ』と満面の笑みで振り返ってくれました。その時に子供のような気持ちで、私は心臓が止まるぐらい感動し、喜んだことを覚えています。それ以来、『ミスター、ミスター』と呼ばせていただきました。ミスターの凄さ、いろいろあります。そんな中で、私の中で忘れられないのは、ミスターは万人に対し、誰にでも対し、心優しい笑顔を見せながら対応する、言葉をかける。あの姿。私は謙虚に、ビッグになればなるほど謙虚に生きろよ、ということを教わったような気がします。それを手本に、これからも頑張っていこうと思います。本当にありがとうございました。頑張るだけ頑張ってきた89年だと思います。ここで一息入れてください。ゆっくり休んでください。そしてまた、その満面の笑みで国民の前に出てきてくれる夢を見させてください。安らかにお眠りください。本当に長い間ありがとうございました」

 代表取材に応じた中畑氏の一問一答は以下の通り。

――今日、改めてどんな気持ちで迎えましたか?
 「思い出がいっぱいに頭の中にわき出てきて。楽しい思い出ばっかりが出てくるんで、やっぱり太陽の人だったんだなって改めて感じるし、万人に対して、これほど幸せと笑顔と光を授けた人はいないんじゃないかなと。本当の神様なんじゃないですかね。もう二度と出てこないだろうし、その人との別れはやっぱりつらいです。つらいけど、残された我々がやるべきことっていうのは、『お前ら頑張れよ』と。『こんなことで下向いているんじゃないぞ』って。『前向きに頑張るんだぞ』ってね。遺影の顔がそう語ってくれているような、そんな気がしました。悲しみばかりじゃなく、胸張って前見ていけ、というメッセージをいただいたような気がします。頑張ります。親父が残してくれた全てのものを、真似できることはできませんけども、私の人生の中で、少しでも恩返しできるように頑張りたいなと思います。安からに眠ってほしいと思います。お休みください。頑張って、頑張って、頑張り抜いた人生なんで、ここで一息入れて休んでもらいたいと思います。お疲れ様でした」

――弔辞を読んでいる中、ずっとミスターの顔写真を見ながらしゃべっていたと思うのですが。
 「現実だった時間帯を思い出しながら、『ああ、こんなに練習してたよな』って。お互いに熱中して、ケンカ。命懸けの戦いをしてたな、というのを、しゃべりながら思い出してました。本当に命懸けで教えてくれたんだな、育ててくれたんだなっていうのは、宝物ですよね。こんな幸せな野球人でよかったのかと。神様のような野球人・長嶋茂雄とともに過ごした時間は、計り知れないほどの幸せな時間でしたから。それもまた大切にしまい込んで、前向きにいきたいと思います。ありがとうございました」

――弔辞ではノックを受けた時の話をされていましたけど、手に感触は残っていますか?
 「捕れないんだよ。計算した通りにさ。ダイビングして、飛び込んでも、飛び込んでも、捕れない所にね。計算したかのようにね、打ち分けるあのテクニックはね、本当、天才だね。打球の強弱ね。たまに捕らせてやろうというサービスボールを打ってくれた時のね、誰でも捕れるボールなんだけれど、『捕れた!』という喜びとね、監督に投げ返すあの時間帯がまたね。かわいいんですよ。『ヒョー、ヒョー』って言いながら。あの姿がね、忘れられない。二人にしかない時間なんで。『こんなに大切な時間だったんだ』って改めてまた感じました。話をしながら。呼び起こしていましたね、本当。何やっても絵になる人だけど、何やっても選手を育てる執念。そういうものに携われたという、関わることができたという人生は、こんな幸せないですよ。本当に感謝です。ありがとうございました」

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