法大で通算22本塁打 田淵幸一氏 4年間は本当の「青春」だった 東京六大学創設100周年 春季L開幕

[ 2025年4月12日 06:00 ]

1968年、22号放った田淵(右)は山本の祝福を受ける
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 創設100周年を迎えた東京六大学野球連盟は、12日に神宮球場で春季リーグの開幕を迎える。法大OBで阪神、西武でも活躍した田淵幸一氏(78=スポニチ本紙評論家)が長嶋茂雄氏(89=立大、現在は巨人終身名誉監督)らを大きく超える通算22本塁打を放ち、当時のリーグ最多記録をつくった在学時の思い出を語った。

 東京六大学100年。それぞれの時代で、さまざまなドラマが歴史に刻まれてきたと思う。法大での4年間は本当の「青春」だった。大切な仲間と、大好きな野球に熱中する。生涯の友とも出会った。もちろんつらいこともあったが、今でも忘れ得ぬ時間、素晴らしい思い出だ。

 法政一で甲子園出場がかなわず、次の目標は神宮でのプレーに変わった。1年春から試合に出させてもらい、最も記憶に残っているのは65年5月15日の慶大戦。「8番・捕手」で出場し、3万人の大観衆の前で8回に左翼に同点2ラン。当時はラッキーゾーンがあった神宮で、大学初アーチだった。試合は9回にサヨナラ勝ち。翌日に優勝を飾った。

 目標は立大OBの大スター、長嶋茂雄さんだった。ミスターの最多本塁打記録(8本)に2年秋に並び、抜いたのは3年春。67年5月22日の慶大戦で、好敵手の藤原真さんから2回に左中間へ新記録の9号ソロを放った。延長11回には10号ソロ。既に巨人入りしていた長嶋さんは「力もあるし実にいいスイング」とコメントしてくれて、マスコミでも騒がれた。本当にうれしかった。

 仲間、友との出会いも財産だ。法大三羽がらす。富田勝が3番を打ち、私が4番、5番が山本浩二。2人がいたからこそ活躍できた。最高のクリーンアップだったと思う。バッテリーを組んだのは通算48勝の山中正竹。非常に頭のいい投手で、合宿所で同部屋だった。常に野球の話をしていたのを覚えている。

 そして最大のライバルにして生涯の友である明大の星野仙一。通算22本塁打をマークしたが、実は仙ちゃんからは一本も打てなかった。打つなら打ってみろ。まさに明治魂といった感じで、闘志を前面に出して向かってきた。明大に敗れて完全優勝を逃した時は、お通夜みたいな寂しい優勝パレードも経験した。

 法大時代の背番号22のユニホームは、今でも自宅に大切に飾ってある。次の100年へ――。東京六大学野球がさらに発展していくことを、心から願っている。 (本紙評論家)

 〇…田淵氏の通算22本塁打の六大学最多記録は、97年に慶大・高橋由伸(元巨人)に破られた。23号を打たれたのは法大の後輩である安藤優也で、のちに阪神でコーチと選手の関係に。田淵氏が法大OBの集まりで「なんで打たれたんだ!」と冗談も交えて本人に話すと、その後しばらく安藤から“謝罪”のお中元、お歳暮が「何年か届いたよ」という。

 ◇田淵 幸一(たぶち・こういち)1946年(昭21)9月24日生まれ、東京都出身の78歳。法政一から法大に進み、東京六大学リーグ新記録(当時)の22本塁打。68年ドラフト1位で阪神に入団し、69年に新人王に輝いた。79年から西武でプレーし、84年限りで現役引退。通算成績は1739試合で打率.260、474本塁打、1135打点。75年に本塁打王、72~76年にベストナイン。90~92年にダイエー(現ソフトバンク)監督。阪神、楽天、北京五輪野球代表のコーチを歴任した。

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