【落合×鈴木啓示対談】走り込み、投げ込みの信念は野茂英雄に伝わらず「それでも勝ちよった」

[ 2024年3月15日 18:05 ]

鈴木啓示氏(右)とオレ流チャンネル「博満の部屋」で対談した落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(70)が15日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。大好評対談企画「博満の部屋」の第6回目として、歴代4位の通算317勝を挙げた元近鉄投手・鈴木啓示氏(76=本紙評論家)をゲストに招いて対談を行った。

 落合氏は「300勝した時はどんな気持ちでした?」と聞くと、鈴木氏は「もうこれでいつ辞めてもええわ思ったんや。ところが(恩師の)西本(幸雄)さんが来られて、“スズ、おめでとう。これで終わりちゃうで”って言われた。おめでとうまではよかったんや。“これで終わりちゃうで。これからあとなんぼ勝つかが、お前の値打ちになってくるわ”言うて」と恩師の西本幸雄氏からかけられた言葉で引退を踏みとどまったことを明かした。

 その後は引退のきっかけとなった試合についても話題が及んだ。鈴木氏は「もう走られへん。日本ハム戦、後楽園でさ、ランナー一塁出るやん。次がバントしよんのや。バントしたやつ捕りに行くのに足が痛とうて行かれへんのや。その年(1985年)に引退した。ホテル帰って岡本伊三美監督に“バントされても捕って一塁でアウトにできへんですわ。辞めますわ”って言ったら、“そんなこと俺に言うな。オーナーに言うてくれ”っちゅうて答えが出えへん。俺飛行機乗れへんのに、朝一番の飛行機で羽田から大阪のオーナーの家に車で行った。オーナーが仲人やってん」と明かした。

 落合氏が「鈴木さんっていえばよ~く走ってたでしょ」と聞くと、鈴木氏は「カネ(金田正一)さんに走れ、走れって言われたしね。車で言うたら走るっちゅうことはガソリンを入れてんのと一緒や思ったんや。ピッチャーとしてね。やっぱり走らんかったらガス欠起こすぞ、思ったんや。走れる間は大丈夫やっていう。ボールは腕で投げるんじゃなくて足腰で投げるという感覚しかなかったから」と歴代1位の400勝を誇る金田さんからの言葉がきっかけで走り込みを重視していたことを明かした。

 落合氏が「あとは腹筋」と言うと、鈴木氏は「腹筋もそうやろうね。でも、走っとったらやっぱり足の方は大丈夫やね。それを同じようにして野茂(英雄)あたりに走れ、走れ言うたら野茂らはもう拗ねてしもうて。自分の感覚で人はついてきてくれる、育ってくれると思っとったらあかんわ」と苦笑いした。

 そこから野茂氏の話題へと移った。「彼だけは分からんわ。3つコンコンコンとフォアボール出しよんねん。代えないかんなと思ったら3つ三振取りよんねん。そういうピッチャーやったからね。走るとか、投げ込むとかいうのはしないね。それでも勝ちよったから、“お前もうちょっと走り込んでみい、もうちょっと投げてみい。今で17勝もできるんやから、やったら20勝くらいすぐできるで”言うた」と当時のやり取りを明かした。さらに「立花(龍司)いうトレーニングコーチがおったんや。あれがアメリカのやつばっかり。本人は勉強したんやろうけど、野茂に薦めよったんや」と振り返った。

 落合氏も「基本線、ピッチャーは走らなかったら投げられないっていうのがわからないんでしょうね」と話すと、鈴木氏は「そういう経験もないんやろうね。走れなくなった時がピンチやね。足が痛くてね」と返した。落合氏は「だから、村田(兆治)さんもやっぱりそうでしたもん。ポール、ポールの間(を走っていた)」と話すと、鈴木氏は「あいつも早う亡くなって気の毒や。不器用な男やったけどな。でも、やっぱり自分なりに作ったフォームやったな。あいつしか投げられないフォームで投げとったもん」と懐かしむと、落合氏は「相手の練習が始まってもポール間走ってたっていう記憶しかないですもん」と村田氏の練習法を明かした。

 落合氏は「鈴木さんも走れなくなったからっていうのはあるんですか?」と質問すると、「走れてるっていうことは車でいうたら給油してることや。それが給油できなくなった時は、ガス欠起こしたらあかんなという。その時は引退やなと思った」と振り返った。

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