村田兆治さん死去 ファンも衝撃…「本当にショック」「何故これほどの偉大な選手がこんな最期を」

[ 2022年11月11日 11:35 ]

村田兆治さん
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 11日午前3時10分ごろ、東京都世田谷区成城の元プロ野球選手、村田兆治さん(72)宅の2階で火事が発生、約40平方メートルが焼けた。警視庁などによると意識不明で病院に搬送された村田さんの死亡が確認された。

 訃報を受け、ツイッター上では「村田兆治さん」がトレンド入り。往年のファンらにも衝撃が走った。

 村田さんは1949年(昭和24年)、広島県生まれ。67年、福山電波工高(現・近大広島高福山)からドラフト1位で東京(現・ロッテ)に入団。69年に6勝をマークし、71年には後に代名詞となる「マサカリ投法」で投げるようになり、ロッテが日本一になった74年にはシーズン12勝、日本シリーズ第6戦で完投勝利を収め、胴上げ投手に。シリーズ最優秀投手賞を受賞した。

 75、76年にパ・リーグの2年連続最優秀防御率、81年に開幕11連勝で最多勝のタイトルを獲得するなどリーグを代表する投手だったが、82年に肘を痛め、83年に渡米しフランク・ジョーブ博士による左腕の腱を右肘に移植するトミー・ジョン手術を受けた。

 85年に開幕から11連勝するなど、17勝5敗の成績でカムバック賞を受賞。日曜日に先発しては白星を重ねることから「サンデー兆治」と呼ばれた。89年5月13日の対日本ハム戦で通算200勝を達成。この年、3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得した。

 90年に引退。22年の選手生活での通算成績は604試合に登板し、215勝177敗33セーブ、防御率3.24だった。通算148の暴投数は日本記録。その生きざまを表現した「昭和生まれの明治男」は90年の新語・流行語大賞の特別部門人語一体・語録賞に選ばれた。

 華々しい実績の一方で、今年9月には羽田空港で保安検査員の女性の肩を押したとして暴行容疑で現行犯逮捕。その後釈放されたが、10月には沢村賞の選考委員を辞退していた。

 ネットでは「何故これほどの偉大な選手がこんな最期を…」「こんな悲しい最期…」「野球観戦が好きになったきっかけを作ってくれた選手です。どうか安らかに」「仲本工事さんもそうだけどこんな亡くなり方悔しいなぁ」「こんな最後はあんまりだよ」「夢中になって見てた中学時代のヒーローの1人です」「火災だなんて本当にショックです」「悲しい晩年」などとコメントが寄せられた。

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