01年に55本塁打のローズ氏がヤクルト・村上を語る「バランスが素晴らしい。松井のスイングを思い出す」

[ 2022年9月13日 22:16 ]

オンライン取材に応じるタフィ・ローズ氏
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 近鉄時代の01年に当時のプロ野球記録に並ぶ55本塁打をマークし、通算では外国人最多の464本塁打を放ったタフィ・ローズ氏(54)が、オンラインでスポニチ本紙の単独インタビューに応じ、村上の打撃について語った。(聞き手・杉浦大介通信員)

 ――村上について知っていることは。

 「映像を見た。(5打席連続本塁打の)甲子園で打ったホームランは素晴らしかった。今季までは知らなかったが、ビデオを見れば彼がいい打者だということは分かる」

 ――彼のスイングで良いと思うところは

 「22歳という若さながら、打席でのバランスが素晴らしい。手の使い方がうまく、中堅、左翼、右翼とフィールドの全ての方向に打つことができる」

 ――自身の打撃に似ていると思う部分は。

 「同じ左打者だけど、打撃のスタンスは違う。ただ、スイングの際、バットがストライクゾーンを長く通るところは似ているかな。足の使い方がしっかりしていて、バランスがいいところも共通している。振り始めは似ていないけど、スイングをし始めたところでは似ている部分はあると思う」

 ――日本でも米国でも、村上に似ていると感じる打者はいるか。

 「構えた時の手の位置が体からだいぶ離れている。少しだけではあるけれども、(元巨人、ヤンキースの)松井秀喜のスイングを思い出させられる。似ている選手を誰かを探すなら松井だということ」

 ――日本選手以外では。

 「ジョーイ・ボット(10年MVPのレッズの39歳の一塁手。昨年に7試合連続本塁打)かな?私はレッズファンだからよく知っている。ジョーイはアベレージ打者で二塁打が多い。ホームランバッターになったジョーイ・ボット、という感じかな。パワーが増したボットか。村上に関して感心させられるのは、あの若さでバットをストライクゾーンに長い時間を保てることだ。だからアウトサイドもインサイドも打てる」

 ――その点も松井に似ているのか。

 「その通り。松井もまた広角打法で打球をどこにでも飛ばせる選手だった。米国に来て以降の松井は引っ張りが増えたけど。左利きだという点でも村上と共通点がある」

 ――村上以外では、松井が日本の最高の打者だと思う?

 「ノー、王貞治さんだ。生で見たわけではなく、ビデオだけれども、王さんこそ史上最高の日本選手だと思う。生で見た中では、イチローがベストかな」

 ――村上は王さんに近づいていくポテンシャルがあると思うか。

 「ノー(笑い)。すまないが、ノーだ。王さんに近づける選手は誰もいない。いい選手はたくさんいる。清原(和博)さん、松井さん、高橋(由伸)さん、イチローさん、長嶋監督、原監督…。ただ、王さんがNo・1だ」

 ――王さんはフォーム的にも優れている?

 「そうだ。私が日本に行った時、私は足を上げる打ち方ではなかったが、王さんのビデオを見て、前の足(右足)を上げるようになった。王さんの打ち方を見てバランスの取り方を学ぶようになった。一度、王さんがやったように、サムライの刀を振る練習をしたこともある」

 ――刀はどこで手に入れたのか。

 「大阪だ。刀だけではなく、よろいも持っている。(刀を)試してみたのは一度だけだけどね。王さんのバランスは本当に凄かった。他にもいい打者は日本にたくさんいた。秋山(幸二)さんも凄かった。でも、王さんがベストだ。800本以上のホームランが打てる人は誰もいないよ。無理だ。健康を保ち、毎年、毎日、20~25年プレーしなければいけない。凄いことだ」

 ――自身が55本塁打を放った01年は素晴らしいシーズンだった半面、王貞治氏の記録を破ってほしくないと考えた人が多く、難しい年だったか。

 「(終盤の)ロッテ戦では何球か打てる球があった。ただ、自分自身にプレッシャーをかけてしまい、難しかった。本塁打記録だけでなく、パ・リーグの優勝がかかっていた。二重の重圧だった。僕に記録を破ってほしくないと思っているように感じたけど、それは別にいいんだよ」

 ――あの年は今でもいい思い出か。

 「キャリア最高の年だ。米国、日本の両方を通じて自分の野球人生で最高の年だった」

 ――いいシーズンになった理由は。

 「私が55本をマークしただけでなく、ノリ(中村紀洋)も46本、吉岡(雄二)も27本、川口(憲史)が21本を打った。私だけでなくチーム全体が好調だったし、大村(直之)と水口(栄二)がいつも出塁していたから、相手投手は私と勝負しなければいけなかった。おかげでいい球がきて、私はそれを打ち返すことができた。自分だけでやったことじゃない」

 ――前後の打線も強力だった。

 「私の背後を打つノリが46本塁打、132打点を挙げた。だから私と勝負せざるを得なかったんだ。大村も3割近く打って(・271)、16本塁打。水口は打率・290を打っていた。いいチーム、いい打線だった」

 ――55号は松坂大輔(西武)から打った。

 「その通り。真っすぐではなく、チェンジアップだった。甘く入ってくる球を待っていて、彼は打てるところにチェンジアップを投げてきた。素晴らしい気分だったよ。忘れているかもしれないけど、私が55号を打った時は5回裏で、2―4で負けていた。試合の行方は分からなかった。まだ4回も残っていて、ノリがサヨナラ本塁打を打ってくれた」

 ――松坂は日本で対戦した最高の投手?

 「ダイスケはその中の一人だった。左腕では工藤(公康)さん、1、2年目に対戦した中では伊良部(秀輝)も、とてもよかった。ただ、若いころの松坂がベストだったかな。18歳で160キロ(に近い球)を投げていたからね」

 ――ダルビッシュ(05~11年日本ハム、現パドレス)より上?

 「若いころの松坂の方が上だったと思う」

 ――日本野球への適応で難しかった点は。

 「実はそれほど難しくなかった。米国を離れた瞬間、米国の野球のことは全て忘れて、日本でのプレーの方法を学んだ。日本の選手たちと同じようにプレーしようとした。日本の投手たちが私にどう投げようとしているかを考えようとした。日本野球のことだけを考えて日本に来たのが良かったのだろう」

 ――残り15試合に本塁打記録と優勝争いが懸かっている村上に重要なことは。

 「(日本語で)ガマンだ。彼は我慢強くなければいけない。これまで以上にやろうとするのではなく、同じことをやらねばならない。“ガマン”こそ最も重要なことだ」

 ――村上へのアドバイスは“ガマン”か。

 「その通り、ガマンだ。追いかけすぎてはいけない。やろうとし過ぎてはいけない。辛抱強くなければいけない」

 ◇タフィ・ローズ 1968年8月21日生まれ、米オハイオ州出身の54歳。86年ドラフト3巡目指名でアストロズに入団し、90年にメジャー昇格。96年に近鉄へ移籍した。01年に55本塁打を放ち本塁打王とパ・リーグMVP。04年に巨人に移籍し、06年にはレッズとマイナー契約。07年にオリックス入りし、09年オフに退団。同年限りで現役を引退した。日本での通算成績は1674試合で打率・286、464本塁打、1269打点。本塁打王4度、打点王3度。現在は一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会のイベントなどで活躍。

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