【内田雅也の追球】不運を嘆いていては永遠に勝者にはなれない

[ 2022年4月24日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-1ヤクルト ( 2022年4月23日    神宮 )

<ヤ・神>5回無死一塁、梅野は遊ゴロ併殺打に倒れる(撮影・大森 寛明)
Photo By スポニチ

 零敗の阪神には惜しい当たりがいくつかあった。たとえば、4打席とも回の先頭の打席に立った近本光司の1、9回表の左飛はともにライナー性だったし、6回表は遊撃手の好捕に阻まれた。

 勝利投手を献上した42歳の老練、石川雅規の技巧に6回3安打無得点。確かに、1回表の1死満塁で1本出ていれば……といった悔恨はある。

 または、4回表1死一塁で小野寺暖の二ゴロ、5回表無死一塁での梅野隆太郎の遊ゴロ、2本の併殺打はともにバットの芯でとらえた当たりで、不運だったとも言える。

 ただし、打者はタイミングが微妙にずれ、体勢を崩されていた。打たされていたわけだ。梅野の時はヒットエンドランで、打球は二塁ベース寄りのゴロだった。「ヒットエンドランの時は中心線は避けて打つ」というセオリーに反していた。

 不運を嘆いていては永遠に勝者にはなれない。

 野球を愛する作家・伊集院静は著書『不運と思うな。』(講談社)で親交のある松井秀喜がヤンキース時代に左手首を骨折した時、武豊が落馬事故にあった時を例にあげ、<不運という言葉は一度も聞かなかった>と記している。なぜか。<己を不運と考えた瞬間から、生きる力が停滞するからではなかろうか>。

 さらに<同時にその人の周囲の人たちを切なくするだけで、生きる上で大切な、誰かのために生きる姿勢が吹っ飛んでしまうからだ>。

 早くも20敗に達し借金は再び今季最多タイの16個と暗黒の日々は続く。だが不運と思えば、その戦いを日々の糧にしている人びとを悲しませる。「誰かのために」と奮闘してきた自分たちの日々をもないがしろにする。

 1点差試合10敗目(1勝)、0―1敗戦は4度目と、もう不運だけでは片付けられない。

 「勝負の鬼」と呼ばれた巨人V9監督、川上哲治は<運とは自分で運ぶもの。真剣にやれば幸運を呼ぶ>と著書『遺言』(文春文庫)に記した。真剣味の問題だろうか。

 頭脳派の石川が著書『頭で投げる。』(ベースボール・マガジン社新書)にこんな下りがある。地元の秋田代表が甲子園大会で勝てないことに<「頑張りたいです」では勝てない>と断じ、「絶対勝ちます」「優勝します」という姿勢を強調していた。 =敬称略=
 (編集委員)

続きを表示

2022年4月24日のニュース