阪神・中田「本当にやり切った。17年間、幸せだった」 笑顔と涙で振り返った「暴れ馬」

[ 2021年9月30日 05:30 ]

<中田賢一引退会見>スアレス(左)と笑顔で記念撮影を行う阪神・中田
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 阪神の中田賢一投手(39)が29日、兵庫県西宮市内のホテルで現役引退会見を開いた。中日、ソフトバンク、阪神の3球団を渡り歩き通算100勝。制球よりも力でねじ伏せるスタイルで「暴れ馬」と称された右腕は「本当にやり切った」と断言し、17年間のプロ生活にさわやかに終止符を打った。 素の姿は「暴れ馬」とは正反対だった。礼儀正しく、気配りができ、自己管理と努力のかたまり。17年間に心残りはなかった。

 「現役生活を続けるにつれ、自分の好きなことを職にできていることが本当に幸せという気持ちが出てきました。本当にやり切ったなという思いが一番。17年間、幸せだったなと思っています」

 100勝投手らしくホテルで開かれた引退会見で、中田は晴れやかな表情を浮かべた。阪神での2年間こそ未勝利に終わったが、中日、ソフトバンクでは何度も優勝、日本一に貢献。個人タイトルには無縁でも、充実したプロ野球生活だった。細かい制球より、力で勝負するスタイルは最後まで不変。代名詞の「暴れ馬」は、入団当時の中日・落合監督に名付けられた。

 「落合監督が『ここに来ると思っていたら、強い球で内角に抜けて来たり、そういう投手は本当に打ちづらいんだよ』という話をしてくださって。あまり良い意味に取られない“暴れ馬”という名前でしたけど、すごく自分の中では好きな言葉になっています」

 07年に亡くした父についての質問に「(母に引退を)報告して“オヤジにも言っておいて”と。小学校の時から(父と)二人三脚でやってきましたんで…。ああ泣かないと思っていたのにな。本当に、天国で喜んで…くれていると思います」と、初めて涙した。引退試合は辞退し、この日の鳴尾浜球場のブルペンで“ラスト登板”。野球に取り組む姿勢で若虎に手本を示してきた。今後は未定でも、指導者転向も視野に第2の野球人生を歩む考えだ。(山添 晴治)

 ◇中田 賢一(なかた・けんいち)1982年(昭57)5月11日生まれ、福岡県出身の39歳。八幡、北九州市大を経て04年ドラフト2巡目で中日入り。1年目から開幕ローテーション入りし07年にはチーム最多14勝。13年オフに国内FA権を行使してソフトバンクに移籍。18年8月26日西武戦でプロ通算100勝を達成。19年オフに阪神へトレード移籍した。1メートル81、84キロ。右投げ右打ち。

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