阪神・矢野監督が胸に刻んだ「3・11」の誓い 大学時代を過ごした地に勇気与える「矢野ガッツ」を

[ 2021年3月12日 05:30 ]

黙とうする(左から)矢野監督、近本、井上ヘッドコーチ(撮影・平嶋 理子)
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 東日本大震災から10年の節目を迎えた11日、阪神の矢野燿大監督(52)が野球を通じて希望の光を届ける決意を示した。被災地のひとつでもある宮城県仙台市は大学4年間を過ごした思い出の場所。東北から遠く離れた甲子園球場にも半旗を掲げ、全員で犠牲者に黙とうをささげた。16年ぶりのリーグ優勝と36年ぶり日本一を目指す1年。猛虎の夢の実現へ決意を新たにした。

 矢野監督が東北に思いをはせた。未曽有の大災害から10年。「言葉を失うっていうのは、あれが初めてかもしれない」。静かに目を閉じ、犠牲者に哀悼の意を表した。1軍は全体練習前、2軍は鳴尾浜球場でのオリックス戦前に首脳陣、選手、球団関係者ら全員で黙とうした。

 「本当に言葉が出ない状況を目の当たりにしてきた。悲惨な状況、景色も、においもね。いろんなにおいがあった。あそこに行かないと分からない…」

 10年前は20年間の現役生活に別れを告げ、第二の人生をスタートさせた直後だった。大震災から約3カ月後の6月には被災地を訪問した。「気仙沼とかに行った。頑張ってくださいと言えるような状況じゃなかった」。甚大な被害に見舞われた場所で野球を通じて被災者らと交流。複雑な心境で白球を握りながら、子供が見せた純粋な笑顔に救われた。

 「大きなことはできないかもしれないけど、その瞬間嫌なことを忘れられるとか、目の前のボールに集中して動き回るとか。そういうことで前を向いていく力には変えられると思う。子供たちに夢を与えるということにもつながる。10年たってもそこは変わらない」

 スポーツの力を肌で感じた瞬間だった。東北福祉大時代は仙台で4年間生活。第二の故郷での体験が“矢野野球”にもつながっていた。今季のチームスローガンは「挑・超・頂 ―挑む 超える 頂へ―」。困難な状況でも前を向くことを約束し、今季に臨む強い覚悟を示した。

 「俺らの野球から、そういうメッセージを届けられるようなチームにしていきたい。俺らができるのは前を向くとか、挑戦するということ。これは誰でも共通すること。言葉でも伝えていきたいけど、画面を見たり、球場に来たりする中で、一歩前に出てみようかなと思ってもらえることを、チームとして大事にしていきたい。そういうチームでありたい」

 復興は道半ば。厳しいコロナ下にもある。その苦境の中から猛虎が希望を届ける。36年ぶりの日本一奪回へ―。たくさんの思いを背負って戦う。(山本 浩之)

 ▽矢野監督と仙台 現役時代は通算8試合で23打数4安打1打点、打率・174。初出場はプロ3年目、中日時代の93年7月11日横浜戦に「8番・捕手」。2回に一時は同点となる適時打を放ち、4―3の勝利に貢献。阪神では交流戦初年度の05年5月30日に先発・下柳から藤川、ウィリアムス、久保田の「JFK」をリードし、4―0で勝利した。19、20年は仙台遠征がなく、今年6月11~13日の楽天3連戦で監督として“初凱旋”を予定。

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