【内田雅也の追球】摩文仁で思う「愛」

[ 2021年2月20日 08:00 ]

平和の礎に刻まれている西本幸雄氏の兄・實氏の名前
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 嶋清一が野球殿堂入りした2008年当時、同年代同郷の西本幸雄がインタビューに答えたDVDがある。評伝『嶋清一 戦火に散った伝説の左腕』(彩流社)の著者・山本暢俊が撮影した。

 嶋は海草中(現向陽高)エースとして1939(昭和14)年、夏の甲子園大会で全5試合を完封、準決勝、決勝ノーヒットノーランの偉業を成し遂げた。西本は戦後、大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄で計8度リーグ優勝に導いた名将だ。和歌山中(現桐蔭高)時代、嶋に「全く歯が立たなかった」。

 嶋は45年3月29日、海防艦に乗り、ベトナム沖を航行中、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、不帰の人となった。西本は中国戦線から生還した。

 DVDで西本は嶋の戦死を悼み「ただ、わずかな救いと言えるのは」と表情を変え「嶋は結婚をしていた」と語る。海軍入隊前の43年11月、ファンだった女性と結婚。44年9月には和歌山・由良に配属された時は妻とともに生活している。

 「人間は愛に生きる」と西本は語る。「親子の愛、師弟の愛、そして夫婦の愛……。わずかな日々だが、嶋には愛する女性と過ごした時間があったんだ。愛の素晴らしさを知っていたんだ……」

 そして「オレの兄はそんな愛を知らずに逝った……」と言葉を詰まらせる。2歳上の次兄・実のことだ。小学生時代、野球を教えてくれた。長兄は13歳も上で、次兄は相談相手でやさしかった。慶大を出て入隊。沖縄戦に散った。27歳だった。次兄への思慕から、自身の長女に文字をとり「由実」と名づけている。

 「結婚はもちろん、恋人も恐らくいなかったろう。愛も知らずに……」

 熱血指導と言われた西本の根元には愛があったのだ。「やぼかもしれんが」と言いながら「愛」や「青春」といった言葉を好んで使った。阪神の名物オーナー、久万俊二郎が心酔していたのは、この愛情だった。

 野球でも何でも、指導者に必要なのは愛だ。西本は「親御さんが手塩にかけて育てた息子だ。愛情を注ぐのは当たり前やないか」と話していた。

 阪神のキャンプ休日だった19日、摩文仁の丘、平和祈念公園を訪ねた。沖縄戦での戦没者の名前が刻まれている。西本は「兄の名前もある」と言っていた。平和の礎(いしじ)、確かに「西本 實」と旧字体でその名はあった。手を合わせ、ただ祈った。=敬称略=(編集委員)

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