東日本大震災から10年 学法石川・佐々木監督 スポーツの「底力」感じた13年の楽天日本一

[ 2021年2月18日 05:30 ]

学法石川の室内練習場で選手を見守る佐々木監督
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 あの日から、もうすぐ10年――。東日本大震災の影響を受けながらも必死にプレーしたアスリートと、陰で支えた指導者が、「3・11」と「忘れられない一日」を振り返る。福島県内の強豪・学法石川の佐々木順一朗監督(61)は、宮城県内で被災した。指導していた仙台育英の選手たちとともに復興の歩みを進めながら、感じ取ったのはスポーツの「底力」。プロ野球・楽天の13年の日本一に、強く背中を押された。宮城と福島で復興を見てきた甲子園29勝の名将が、あの日を語る。

 午後2時46分。佐々木監督は思った。「この世の終わりだ」。仙台港から約4キロの仙台育英グラウンド。ナイター照明が大きく揺れ、周辺は水浸しとなった。自宅が津波で流された選手も多かった。家族に連絡しようとしても、電話はつながらない。選手と一緒に住んでいた寮は津波被害を免れ、とどまる選手も多かったが、物資はほとんど届かなかった。入浴できたのも1カ月後。トイレットペーパーも不足し、「痛かった」が、制汗シートを使った。

 光を照らしてくれたのは、同じ宮城のチームだった。11年4月2日。楽天の嶋基宏(現ヤクルト)の慈善試合前のスピーチに震えた。「見せましょう、野球の底力を」。石巻工が12年のセンバツで躍動する姿にも、佐々木監督は心を打たれた。

 「目に見えて復興を感じた」のは、13年11月3日だった。雨の仙台。日本シリーズ第7戦で楽天が巨人を下し、球団初の日本一に輝いた。田中将大が最終回を締めたコボスタで、佐々木監督は観戦していた。「“あと一つ”の大合唱は、復興したなと感じた。選手が凄く真剣でした。全員が高ぶり、心が一つになった瞬間です」。その後、東北高の後輩・羽生結弦が14年ソチ五輪で金メダルを獲得するなど、宮城の選手たちの底力を感じた。

 佐々木監督は宮城、福島の両県の復興を見てきた。甚大な津波被害を受けた宮城と異なり、原発事故と戦う福島はジレンマを抱えているという。「宮城は再開発が進み、新しいことに取り組んでいる。でも、福島は場所が残っているのにもかかわらず、そこに帰れない人が多い。苦しいと思う」と心を痛める。

 ヤクルトなどで活躍した由規(31、現BC埼玉)と仙台育英でバッテリーを組んだ、斎藤泉さんを津波で亡くした。相手チームのファインプレーに拍手を送るなど、心から野球を楽しむ選手だった。教え子の死から、佐々木監督は「奇跡の逆転も増えた。見えない力も働くようになった」という。

 震災を乗り越え、仙台育英は強くなった。12年の国体で優勝し、神宮大会も2度制した。15年の夏の甲子園では準優勝。「簡単にくじけたり、めげてはいけないと思うようになった。寒いとか熱いとか五感で体験できること全てが幸せなんです」。今日も笑顔で生き抜く佐々木監督が、学法石川で福島で復興への思いを持ち続ける。(近藤 大暉)

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2021年2月18日のニュース