【タテジマへの道】高橋遥人編<上>高校時代の恩師が感じた可能性――

[ 2020年4月19日 15:00 ]

13年、静岡大会の東海大翔洋戦、無念の表情でマウンドを降りる常葉橘時代の高橋遥人

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第4回は、17年ドラフトで2位指名された高橋遥人編を2日連続で配信する。

 阪神からドラフト2位指名を受ける4年前。17歳の遥人は「野球はもうやめよう」と考えていた。

 常葉橘(静岡)では2年夏に甲子園デビューして全国区になった。3年時には最速142キロを誇り、プロスカウトの間でも名が知れ渡っていた。背番号1を背負った最後の夏、2年連続の甲子園を狙った静岡大会4回戦で敗退。東海大翔洋戦でまさかの5失点KOを喫し、涙をのんだ。「最後の夏が一番ダメでした」。自信は打ち砕かれた。

 迎えた秋。進路相談で当時の黒沢学監督(40=現常葉菊川野球部部長)から「プロ志望届を出してみろ」と勧められた。実際に黒沢監督のもとにはプロの評価が届いていても、遥人に自信はなかった。「厳しいだろうな…と。ダメ元で出した感じです」。結果的に指名なく、芽生えた感情は、「悔しさ」ではなく「諦め」だった。

 「落ち込んだ…というのなかったです。“やっぱりか”と。3年間で最後が一番ダメでしたし。だから、もうダメかな…と。それ(限界)は感じていました」

 半ば想像できてしまっていた結末に心は完全に折れた。「地元で就職して軟式野球でも…」と考えていた遥人に待ったをかけたのは黒沢監督だった。「大学でやってみないか」。大きな可能性を感じていた恩師からの率直な願いだった。

 遥人は悩んだ。一度は消えかけた情熱を再び燃やすのは容易ではない。背中を押してくれたのは家族だった。相談した父・智太郎さん(57)から言われた。「どちらでもいい。やりたいなら、やればいいし、嫌なら辞めればいい。でも、どうせやるんだったら、一番強くて自分が成長できるところでやれよ」。その言葉で思い直した。

 なぜここまで野球をやってきたのか――。

 「指名がなければ、もう自分は無理だと思っていました。諦めようと思っていました。でも、応援してくれる人がいた。お金を払ってくれて野球をやるなら、厳しいところでやろうと。その方が成長できると。気持ちは変わりました」

 地元も含めて複数の大学から誘いを受けた中、黒沢監督と相談して“日本一厳しい”と言っても過言ではない亜大野球部の門を叩いた。プロの道へとつながる決断だった。

 遥人が生まれ育ったのは静岡市葵区瀬名。徳川家康の正室・築山殿(瀬名姫)の出生地で、家康が大御所時代に鷹狩りを楽しんだ逸話が残る。のどかな自然に囲まれた地域で、5人兄妹の次男として生を受けた。

 とにかく遊び回るのが好きで、活発な男の子だった。遊び方は自然が多い町ならでは。自宅の横を流れる「長尾川」へ家族で行き、魚やカニを捕まえるのが一番の楽しみだった。

 そんな遥人少年がスポーツと出合ったのは小学1年生の時。近所の知り合いの誘いもあり、3学年上の兄とともにソフトボールチームに入団した。活発な遥人は初めてのスポーツに目を輝かせていたというが、現実は球拾いなど雑用ばかり。3年生になるとついに我慢できなくなり、「面白くない!」と言って退団した。その後、軟式野球の『西奈少年野球スポーツ少年団』へと移籍。野球との出合いだった。

 地元で「厳しい」と有名なチームだった。練習日は水、金、土、日の週4日。とくに土、日は朝の6時からスタートして、遅いときは19時まで練習することもあったという。父・智太郎さんが「中学よりも、高校よりも、少年野球が一番つらかったんじゃないですかね」と言うほどだ。

 そんな過酷な状況下でも、遥人の野球への情熱は燃えさかっていた。「どこに遊びに行くにも、バットとグラブは自転車のかごに入ってましたよ」(智太郎さん)。小学生とは思えないほどの厳しい練習と指導で、技術面、精神面とも鍛えられた遥人。主に投手として活躍し、地元では有名な存在になった。そして、中学野球の名門、常葉学園橘中に進んだ。

 ただ、中学では意外にも2番手投手だった。エースの右腕に隠れる形で、主に右翼手として出場。3年夏の中体連では同中初の全国制覇を果たしたが、大会全4試合での投球回数はわずか7イニングだった。

 「エースじゃなく、ほとんど投げてないんです…」と照れ笑いを浮かべる。それでも、「悔しいという気持ちよりも全国優勝できたうれしさの方が大きかったです」と、野球人生において大きな経験となった。そして、中高一貫の常葉学園橘高へと進学した。
(2017年11月21、22日付掲載、一部編集、あすに続く)


 ◆高橋 遥人(たかはし・はると)1995年(平7)11月7日生まれ、静岡県出身の22歳。西奈小3年から西奈少年野球スポーツ少年団で野球を始める。常葉学園橘中では右翼手兼投手で、3年夏の全国軟式野球大会優勝。常葉学園橘では2年夏に甲子園出場。亜大では1年秋からリーグ戦に登板。3年時に大学選手権出場。1メートル80、78キロ。左投げ左打ち。

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